「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)

2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり



●漢江沿いの山々には、ヒョウ、カモシカ、数種のシカが見られる。傑出したものはここでもやはり朝鮮全国の例にもれず、トラである。最初わたしはトラとその略奪行為についてはたいへん懐疑的だった。((中略))けれどもトラにまつわるうわさ話はたえず耳に入るし、村人たちのこわがりようをこの目で見たり、馬夫〈マブ〉[馬丁]やクーリーから暗くなって旅するのを拒否されたり、またたしかに最近数カ所で人や家畜がいなくなったこと、元山〈ウオンサン〉のこぎれいな地域においてさえ、わたしの到着する前の日に少年と幼児がさらわれ、町を見下ろす山の斜面で食べられてしまったことから、わたしも信じざるをえなくなった。(p.103)

●貧しさを生活必需品の不足と解釈するなら、漢江流域の住民は貧しくない。自分たちばかりか、朝鮮の慣習に従ってもてなしを求めてくる、だれもかれもを満たせるだけの生活必需品はある。負債はおそらく全員がかかえている。借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮しているのである。彼らは怠惰に見える。わたしも当時はそう思っていた。しかし彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、たとえそれが真鍮〈しんちゅう〉の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流された者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申しこまれたりするのがおちなのである。とはいえ、漢江流域の家々はかなり快適そうなたたずまいを見せていた。(p.110)

●小集落はべつとして、漢江沿いの村々には学校がある。ただし学校といっても私塾である。家々でお金を出しあって教師を雇っているが、生徒は文人階級の子弟にかぎられ、学習するのは漢文のみで、これはあらゆる朝鮮人の野心の的である官職への足がかりなのである。諺文〈オンムン〉[ハングル]は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。とはいえ、わたしの観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める。(p.111)

●(舟の持ち主である)キムのなまけ癖と言い逃れのうまさ、激しくはないものの頻繁にあらわれる早瀬、それにどうしても必要な食料探し——こういったもののおかげで舟の進み具合はのろく、旅に出てはじめのちょっとした町であり、亡き王妃の生誕地でもある驪州〈ヨジュ〉に着くのに四月一九日までかかった。わたしにとって驪州は、敵意はないものの騒々しくて不愉快な群衆に囲まれたはじめての場所として忘れられない。「見せ物」になりながら、それがなんの益にもならないのは屈辱的なことである!だれにもじゃまされずにプリズムコンパスを使えないものかと河のなかの岩まで行けば、あやうく水中へ突き落とされそうになるし、門楼に入れば、よく見える場所という場所にどやどやと野次馬がのぼってきてコンパスを激しく動かすので、精巧に平衡のとってある針はいっこうにじっとしない。人々は汚く、通りは臭くてさびれており、しかも最悪なのは役所で、機会があってそこへ行ったものの、慇懃〈いんぎん〉な応対すら得られないほど関子〈クワンジャ〉*2にはなんの効力もないことがわかった。(p.119)

[7] << [9] >>
comments (50)
trackbacks (0)


<< 「アンカー」外交&安保は?各党マニフェスト点検とクリントン訪朝
「アンカー」オバマ“核廃絶”は実現可能か? >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]