「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)

2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり



●通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行する者を例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取ってもらえる貨幣は、当時公称三二〇〇枚で一ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位でなわに通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないでまたそれも厄介なのである。一〇〇円分の穴あき銭を運ぶには六人の男か朝鮮馬一頭がいる。たった一〇ポンドなのにである!(p.93-94)

●舟の乗組員は、舟の持ち主であるキムとその「雇い人」のふたりだった。キムは背が高く屈強で、貴族的な風貌の絵になる老人で、雇い主は口をきくのを二度しか耳にしたことがない。二度ともひどく酔っぱらったときで、そのときはたいへんな饒舌ぶりを発揮した。概してふたりは折り目正しくもの静かだった。わたしは四六時中ふたりのすぐそばにいたわけであるが、一度として彼らのふるまいにいやな思いをしたことがない。キムは舟の借り賃として月に三〇ドル支払っていたが、彼のものぐさぶりはみごとだった。のらりくらりすごす、舟は遅く出し早めにつなぐ、のろのろ進む、櫓なり棹を使うときは労力を最小限に抑える。これがキムのポリシーなのである。一時間棹を動かしたら舟をつないでたばこを一服、ときには半日かけて米を買う、疲労困憊〈こんぱい〉のふりをして雇い主の感受性に訴える、不精者のよく口にする言い逃れをことごとく用いる。これがキムの習性なのである。契約では三人雇うことになっていたが、キムはひとりしか連れてこず、曖昧な弁解でごまかした。しかしせめてこれくらいは悪く言わせてもらいたい。なにしろ彼らは一日に一〇マイル以上進んだことがなく、七マイルしか行かないこともしばしばで、激しい早瀬に来るといつも引き返したがったのである。(p.99)

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