「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり
●一年後に会ったとき、三人(引用者注:朝鮮にキリスト教の伝道に来ていたバードの友人のオーストラリア人女性たち)は相変わらず元気で幸せそうだった。東学〈トンハク〉党の乱や日清戦争が引き起こした朝鮮人のあいだの動揺も、戦争そのものも、三人には外界のできごとだった。日本軍が近くに野営しており、許可を得てこの長屋の井戸を使っていたが、兵隊の態度はいつも丁重だった。(p.43-44)
●日本人居留地はこれ(引用者注:清国人居留地)よりはるかに人口も多く、街も広くてもったいぶっている。領事館は公館としては充分に立派である。街には小さな商店のならぶ通りが何本かあるが、扱っている商品はおもに自国の人々の需要を満たすものである。というのも外国人はアー・ウォングとイータイ(引用者注:清式の旅館「スチュワーズ」の支配人)をひいきにしており、三世紀にわたる[豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の]憎悪をいだいている朝鮮人は日本人が大嫌いで、おもに清国人と取り引きしているからである。しかし貿易では清国人に凌駕されてはいるものの、朝鮮における日本人の立場は、日清戦争前ですら影響力のあるものであった。(p.47-48)
●読者は済物浦〈チエムルポ〉(引用者注:ソウルの海港。漢江〈ハンガン〉の河口にある)には朝鮮人はいないのだろうかと疑問に思われるかもしれない。彼らはあまり重要でなく、わたしもつい忘れてしまうところだった。増えつつある現地の人々の街はソウルに通じる道路が貫いている日本人居留地の外側にあり、英国教会の建っている丘のふもとに丸く集まっていて、さらに丘の中腹に散らばっている。岩棚ごとにそこから生えたような土壁の小屋があり、不潔な路地でつながっている。路地には汚い身なりのおとなしい子供たちが群がり、父親たちのふがいなさのむこうを張るように街道を眺めている。朝鮮的といえば、丘の頂上にある役所も朝鮮的である。朝鮮人には独特の処罰方法があって、役所の雑卒が容赦のない笞打〈むちう〉ちを行い、罪人を死ぬほど打ちすえる。罪人が苦痛に叫ぶ声は近くのイギリス伝道館の中にまで聞こえてくる。朝鮮にも収賄と汚職はあり、ここばかりではなくほとんどどこの官庁も不正で腐敗している。(p.49-50)
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