「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり
●開国の一〇年前に朝鮮国王は宗主国である清の皇帝に対し「教育ある者は孔子と文王の教えを守り実践している」と書き送っているが、このことこそ朝鮮を正しく評価するための鍵である。政治、法律、教育、礼儀、社交、道徳における清の影響は大きい。これらすべての面において朝鮮はその強力な隣国の貧弱な反映にすぎない。日清戦争以降朝鮮人は清に援助を期待するのはやめたとはいえ、清に対しては好感をいだいており、崇高な理想や尊ぶべき伝統、道徳的な教えを清に求めている。朝鮮人の文字、迷信、教育制度、祖先崇拝、文化、考え方は中国式である。社会は儒教を規範とした構造をとっており、子供に対する親の権利や弟に対する兄の権利は清においてと同じく一〇〇パーセント認められている。
このように旧態依然とした状況、言語に絶する陳腐さ、救いがたくまた革新のないオリエンタリズムの横溢する国に、本家には国をまとめる民族の強靭さがあるのに、それを持たない清のパロディたる国に、西洋による感化という動揺がもたらされたのである。(p.34)
●釜山の居留地はどの点から見ても日本である。五五〇八人という在留日本人の人口に加え、日本人漁師八〇〇〇人という水上生活者の人口がある。日本の総領事は瀟洒〈しょうしゃ〉な西洋館に住んでいる。銀行業務は東京の第一銀行が引き受け、郵便と電信業務も日本人の手で行われている。居留地が清潔なのも日本的であれば、朝鮮人には未知の産業、たとえば機械による精米、捕鯨、酒造、フカひれやナマコや魚肥の加工といった産業の導入も日本が行った。(p.39)
●朝鮮人はわたしの目には新奇に映った。清国人にも日本人にも似てはおらず、そのどちらよりずっとみばがよくて、体格は日本人よりはるかに立派である。平均身長は五フィート四・五インチであるものの、ゆったりした白服がそれよりも高く見せ、山の高い帽子をいつも忘れずかぶっているのでさらに高く見える。(p.40)
●(釜山の)旧市街はみすぼらしいところだとわたしは思ったが、朝鮮の一般的な町のみすぼらしさはこの町と似たり寄ったりであることをのちの体験で知った。狭くて汚い通りを形づくるのは、骨組みに土を塗って建てた低いあばら屋である。窓がなく、屋根はわらぶきで軒が深く、どの壁にも地面から二フィートのところに黒い排煙用の穴がある。家の外側にはたいがい不規則な形のみぞが掘ってあり、個体および液体の汚物やごみがたまっている。疥癬〈かいせん〉で毛の抜けた犬や、目がただれ、ほこりでまだらになった半裸や素裸の子供たちが、あたりに充満する悪臭にはまったくおかまいなしに、厚い土ぼこりや泥のなかで転がりまわったり、日なたで息を切らせたり、まばたきしている。(p.41)
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