「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり
たとえば——
「朝鮮では、飢饉が頻繁にみられる。最も貧しい階級の人びとにとって、それは年に二度、定期的に訪れる。まず、大麦の収穫を待つあいだの春窮期の六、七月、次いで粟類の取り入れ前の九、一〇月である。(中略)彼らに残された生きる糧といえば、ただ塩水で煮つめたわずかばかりの草木である」(フランス人宣教師、シャルル・ダレ著「朝鮮事情」)
「朝鮮はきわめて盗賊の多い国家で、城塞の外で夜を過ごすことは大変危険だった。城塞の外には人命をハエの命ほどにも思わぬ山賊やならず者で溢れていた」(スウェーデンのジャーナリスト、アーソン・グレイブスト著「悲劇の朝鮮」)
皆さんご承知の通り、朝鮮半島の歴代王朝はずっと支那の「属国」でした。
そして19世紀以降アジア諸国はほとんどが欧米列強の植民地に転落し、朝鮮の宗主国の清国でさえアヘン戦争後にはイギリスの半植民地状態に陥っていました。
日本にとって当時最大の脅威は南下政策を進めていたロシアでした。安全保障の観点から、日本は朝鮮が支那から独立して近代国家になることを望んでいました。
が、朝鮮は「小中華」から脱却しようとせず、またロシアの脅威にも気付きませんでした。
「朝鮮紀行」の序文は、1897年(明治30年)10月付で駐朝イギリス総領事のウォルター・C・ヒリアーという人が書いているのですが、そこにこのような記述があります。
「朝鮮についていくらかでもご存じのすべての人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であるのは明白であろう。日本の武力によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮はあえぎつづけている。かつては清が、どの属国に対しても現地の利害には素知らぬ顔の態度をくずさぬまま、助言者と指導者としての役割を担っていたが、清国軍が朝鮮から撤退後は日本がその役目を請け負った。最も顕著な悪弊を改革する日本の努力は、いくぶん乱暴に行われはしたものの、真摯であったことはまちがいない」
その後、文章はこう続きます。
「日本の着手した仕事は状況の趨勢からロシアが引き継がざるをえなくなり、恐怖に駆られた国王は、国王にあらずとも強靭果敢な人間が充分におびえかねないテロ行為からの救出をロシア公使に訴えた」
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