「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
2009.08.09 Sunday 00:52
くっくり
●(前項のつづき)お世辞にも礼儀正しいとはいえない吏員がわたしの関子を受け取り、きわめて不作法にわたしたちを二室ある小部屋のほうへ案内した。そのうち内側にある部屋で地方長官は床にすわり、年長の人々が何人かそのまわりにいた。わたしたちはふたつの部屋のあいだにある入口にとどまるよう指示された。うしろには野次馬がぎっしりつめかけている。わたしは深々とおじぎをした。なんの関心も払われなかった。従者のひとりが長官にキセルをさしだし、自分では火もつけられないほど長いその着せるで長官はたばこを吸った。ミラー氏(引用者注:バードと共に旅行している若い宣教師)がご機嫌うるわしく存じますとあいさつした。返事はなく、視線が彼のほうに向く気配もまるでなかった。ミラー氏がこの町周辺のことで少し情報がほしいと、訪問の目的を告げたが、簡略きわまりない返事がひと言あっただけで、長官は部下のひとりのほうを向いて話しはじめた。そして粗野な意見がめぐるなかで、わたしたちは一般的ないとま乞いのあいさつを朝鮮語で述べて退出した。むこうからあいさつは返ってこなかった。(p.119-120)
●(前項のつづき)驪州には「名門両班」が多いと聞いており、また戸数たった七〇〇の町の長官が高位の者であるはずはなさそうだった。うわさでは、長官が地元に帰ってくると、まわりは彼に「ぞんざいなことば遣い」で話し、目下扱いをしてあれこれ指図する。したがって彼はおもにソウルに住み、廃屋化した広大で凝った造りの庁舎でふんぞり返っている男が代わりに仕事を行い、官職の役得を仲間に割りあてる。好き勝手にやられても、「両班」はまるであずかり知らないのである。しかしこれはここに限ったことではない。漢江沿いの郡守はほとんどすべてがおもに不在地主で、彼らは時間も俸給も搾り取った年貢も首都で使う。わたしはほかにも三人の郡守から同じような応対を受けた。三円を穴あき銭に両替してほしいと頼んだだけであったが、そのたびに金庫は空っぽだと断られた。わたしの関子は外務省発行のもったいぶった文書であるものの、用途は両替のみで、これがあればこそ、鶏をなかなか売ってはもらえない町でも高値で買えるのである!(p.120)
_________________________「朝鮮紀行」引用ここまで
李朝末期の朝鮮については、イザベラ・バード以外にも様々な外国人が一様に、その貧しさや民度の低さを指摘しています。
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