【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)

2008.08.16 Saturday 01:54
くっくり


 
■孫文=1895年(明治28年)に日本へ亡命、以後、世界中を巡る。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。
「三民主義」より

 ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題の代弁者だった。他の諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。
 白色人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが、知能には違いはない。アジアには強い日本があるから、白人人種は日本人もアジアのいかなる人種も見下すことはできない。
 日本の台頭は大和(日本)民族に権威をもたらしただけでなく、アジア全民族の地位を高めた。
 かつてわれわれはヨーロッパ人がすることはわれわれにはできないと考えていた。いまわれわれは日本がヨーロッパから学んだことを見、日本に習うなら、われわれも日本と同じように西洋から学べることを知ったのである。

■コリン・ロス=1885年(明治18年)ウィーン生まれ。1938年(昭和13年)3月の独墺合邦以後「ドイツ人」となった。第一次大戦のときオーストリア新聞特派員として活躍し、その後、アジア、アフリカ、南北アメリカの各地を旅行し、政治、経済に関する論文やその旅行記を書くとともに、映画制作にあたった。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」より
 靖国神社の合祀祭(1939年(昭和14年)現在の日中戦争の戦死者が合祀された)についての記述

 わたしたちの東京滞在中の宿舎は靖国神社のすぐそばにあったので、一日中大祭をくまなく見物できた。それこそ始めから終りまで、すべての段階を体験できたといえよう。

 だが、わたしにとって最高の体験は、戦死者の神格化が発表される最初の夜の儀式である。わたしはこれまで、日本国民の魂の中に活動し、彼らの強さの源泉となっているものを、これほど強力かつ衝撃的に痛感したことはなかった。ヨーロッパ人が理解できず、奇妙に思われるもので、日本に住む外国人にすら、普通会得できないものがこの夜、神聖な祭りに加わった数万の人々にとっては、まったく自然な出来事なのである。

 ついに招待された人々は鳥居をくぐり、広々と蓆がひろげられてある場所に着座した。物音ひとつしない平穏の中で、彼らは蓆の上に正座した。見渡すかぎり黒絹の式服を着た大勢の人々が着座している様子はまさに硬直した溶岩の原野であった。

[7] beginning... [9] >>
comments (28)
trackbacks (0)


<< 「アンカー」日朝拉致で談合と政府専用機の日の丸
「それでも中国と付き合いますか?」 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]