長崎事件をご存知ですか?支那を憂う明治天皇と沿岸防備に寄附した国民

2012.11.05 Monday 17:11
くっくり



 天皇ご自身によるこの重大なご決断は、朝野の日本人を奮い立たさずにはおれませんでした。

 伊藤博文首相から全国の地方長官にこのことが伝えられ、改めて全国民に海防費の献金を呼びかけられました。

 すると、たちまち200万円余り(現在に換算すると80億円相当)が集まったのです。

 東京都の尖閣諸島購入計画に対し、極めて短期間のうちに多くの国民から多額の寄附金が寄せられましたが、それと似てますよね。

 これにより、1892年(明治25年)までに、日本各地の沿岸の要所に212門もの大砲が備え付けられることになりました。

 日本が海洋国家である限り、隣国の脅威に対する沿岸防備の強化の重要性は、明治の昔も平成の今も、変わりません。

 ただ、時の政府の危機管理能力によって大きな差が出てしまう現実を、私たちはよく知っています。

WiLL11月号堤尭氏…安倍の政治的な反射神経を評価する。総理時代、尖閣で揉めたとき中国は軍艦を出すと脅した。「どうしましょうか」と問われた安倍は「ならばこちらも軍艦を出すと伝えろ」。これで安倍政権の間、中国の動きはぴたりと止まった。危機の宰相に何より必要なのはこの種の反射神経。

— くっくりさん (@boyakuri) 10月 31, 2012


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【画像は2チャンネルから】


 長崎事件のあと、日清戦争、戊戌維新、義和団事件(北清事変)と、支那は激動し続けます。

 特に、明治の末年に勃発した辛亥革命により、支那は上を下への大騒ぎになりました。

 1912年(明治45年)1月1日、孫文が中華民国樹立を宣言し、初代臨時大総統に就任。
 2月12日、ついに清朝の皇帝・宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し、その276年の歴史に幕を閉じます。
 3月10日、孫文に代わって袁世凱が中華民国臨時大総統に就任。

 以後、支那大陸は絶えざる内戦の時代に突入し、隣国日本も巻き込みながら麻のごとく乱れていきました。

 そして7月30日、明治天皇が崩御されます。

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