長崎事件をご存知ですか?支那を憂う明治天皇と沿岸防備に寄附した国民

2012.11.05 Monday 17:11
くっくり



 「両国の人民、若し開港場に於て兇徒を語合い盗賊悪事をなし、或は内地に潜み入り、火を付け、人を殺し、劫奪を為す者有らば、各港にては地方官より厳く捕え直に其次第を理事官に知らすべし。若し兇器を用て手向いせば、何れに於ても格殺して論なかるべし(第十三条)」

 にもかかわらず、清国水兵が暴動を起こし長崎市街を破壊した行為を、しかもそれを取締った日本警察の行為を、「喧嘩」として処理し、双方の償却で済ましてしまったのは明らかに道理に合いません。

 2010年の尖閣沖衝突事件や、2012年夏に支那各地で発生した反日デモに対する、日本政府の弱腰な対応を想起した方もおられるでしょう。

 が、当時と今とでは、両国の状況は全く異なります。
 先述したように、当時の清国は日本に対して軍事力で圧倒的優位を保っていたのです。

 どの時代でも変わらないもの、それは「道理に合わない無理を言われても、軍事力の前には屈さざるを得ない」という国際社会の冷徹な原則です。

 逆に言えば、現在、海軍力で見れば海上自衛隊は中国海軍よりも実力は上とされているにも関わらず、全く弱腰な対応しかできない日本政府は何なんだ?ってことになりますね。
 もちろん、そこには欠陥だらけの現在の日本の法整備にも大きな原因があるのですが…。

 とにかく、当時の日本国民は、政府の不甲斐ない態度に切歯扼腕するしかありませんでした。

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【明治天皇。近代国家日本の指導者、象徴として国民から畏敬されました】


 こうしたことから、清国に対抗できる強力な海軍を持つことと、差し当たっては日本近海の沿岸警備を固めることが、明治中期の日本にとって、大きな国家的課題となりました。

 しかし、海軍の予算は全て軍艦の建造費に回され、沿岸警備まではとても手が回りません。

 その状況を見るに見かねた明治天皇は、長崎事件の翌年の1887年(明治20年)3月、「海防費補助金下賜の勅諭」を下し、沿岸防備のため、皇室費を節約して30万円を拠出されました。

 これは当時の皇室費の1割以上に当たっていました。
 なお、30万円という額は現在に換算すると12億円に相当します。

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