長崎事件をご存知ですか?支那を憂う明治天皇と沿岸防備に寄附した国民

2012.11.05 Monday 17:11
くっくり


 清国側は集団での水兵の上陸を禁止し、また上陸を許す時は監督士官を付き添わせるというものでした。

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【清国北洋艦隊の水兵たち(きままに歴史資料集さまから拝借)】


 翌14日は何も起こりませんでしたが、15日になると、協定に反し、約300名の清国水兵が上陸してきました。
 その中には、刀や棍棒など武器を所持する者もいました。

 うち数人の水兵が、交番の前で巡査に嫌がらせを繰り返しました。
 巡査は耐えてこれを諭そうとしましたが、警棒を奪おうとしたのでこれを防いでいると、他の水兵が来てもみ合いとなりました。

 他の巡査2名が駆けつけると、水兵20数名が現れて乱闘となり、さらには水兵100名以上が駆けつけ、ついに巡査1名が殺害されてしまいます。もう1名も重傷を負いました(翌日死亡)。

 これをきっかけに双方は大乱闘になりました。

 当日は、コレラ病予防の為に巡査が各地に出払っていた等の事情もあり、人員がなかなか集まりませんでしたが、何とか追加の巡査が駆けつけて総勢30名ほどになりました。

 ところが、清国水兵はその時にはすでに200名ほどに膨れあがっていました。

 人数で見ると日本側は圧倒的に不利な状況でしたが、ほぼ全員の巡査が負傷しながらも水兵を捕らえ、あるいは防御に努め、あるいは逃げ惑う住民を助け、また清国商人を救護し、鎮圧に努めました。

 さらに、騒動を知り憤慨した付近住民も、手に手に武器を持ち多数駆けつけ、水兵らに反撃しました。
 この時、清国の士官1名が死亡しましたが、住民側にも20数名の負傷者が出ました。

 これが長崎事件(長崎清国水兵事件)です。

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【長崎丸山ニテ支那水夫暴動ノ図「絵本近世太平記」明治21年6月24日出版 藤谷虎三著(きままに歴史資料集さまから拝借)】

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