保守系識者諸氏が見た震災(1)
2011.05.09 Monday 19:47
くっくり
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【私の友人は3月11日の夜、ツイッター上でこう囁いた。
「新橋にいる。私はここから歩く。日本もここからだ。」
力強い。静かに私は血が騒いだ。友人は画家で、齢72。後で聞けば、深夜、しっかり埼玉まで歩いて辿り着いたらしい。たくましい。私も負けていられない。】
<『正論』2011年5月号 川崎昌平「たくましきネットの言葉」>
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【悲惨な光景と不安のなかで、少しだけ心和ませてくれたのは、普段はなかなか話すこともないマンションの住人が駐車場に出てきて、無事を確認して励ましあったことである。かつて日本の「強さ」を支えた「共同体の絆」の再興への予感に、かすかな希望を感じている。】
<『正論』2011年5月号 柳田章「一被災者として」(福島県いわき市で被災)>
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【温かいうどんが配られると聞いて避難所前に整列した人たちが、配られるのは20数杯だと言われて、受け取ったうどんの茶碗を後ろの人に渡し、渡された人がさらに後ろの人に渡していって最後には老人と子供にこれが行き着くといった光景をみて、私の胸はつまる。
共同体を共同体たらしめている精神と原理が、東北地方の農漁村の共同体の中には、しなやかにも生きていたのである。共同体を蘇生(そせい)させねばならない。全うな共同体に支えられずして、全うな国家が存立できるはずはないからである。】
<産経4/21付【正論】拓殖大学学長・渡辺利夫「国家と共同体を心に刻みつけた」>
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【この戦後最悪の国難、こういうときこそ国会議員のセンセイの出番である。特に日頃ヒマを持てあまし、国のために何しとるか分からんセンセイ方、被災地に出向いて、がれきのひとつでも片づけたらどうや? でもアカンで警備や送迎の車頼んだら。それだけ行方不明者の捜索が遅れるんや、パフォーマンスはいらん。こんな国難に立ち向かう今こそ、「真の英雄」と「口先だけの偽善者」を見極める好機である。
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