2011.04.02 Saturday 01:45
くっくり
(産経新聞3/31 1:16)
福島県いわき市の山田仁さん(76)は妻栄子さん(64)が車いす生活。訪問介護ステーションが津波で被災し、介護を受けられなくなった。栄子さんが「地震で揺れても動けなくて不安でした」と話すと、両陛下は「大変でしたね。怖かったでしょう」と気遣った。
仁さんは「じっくり話を聞いていただき、うれしかった。まだまだ頑張らなきゃという気持ちになった」と話した。
(スポーツニッポン3/30 19:25)
いわき市の古川裕子さん(32)の自宅は原発から30キロ圏外だが、8歳と2歳の子供の健康を案じ夫と共に避難した。皇后さまに「子供が遊ぶ環境はありますか」「よく眠れますか」と気遣われ、「目を見て話してくださり、優しい方だと感じた」と笑顔を浮かべた。
(読売新聞3/30 20:30)
皇后さまは、同県いわき市から7カ月の赤ちゃんと避難している学生鈴木優里菜さん(20)に「ミルクやお水は大丈夫?」「眠れているの」と気遣った。解体業をしている鈴木さんの夫は一緒に避難していたが、仕事のため1人で福島に戻ったという。鈴木さんは「皇后さまに優しい言葉をかけて頂き、安心しました」と話していた。
皇后さまは、帰り際に通路で子どもたちに囲まれると「元気でね」と笑顔で手を握っていた。
天皇陛下に「頑張って」と声をかけられたいわき市の金丸直美さん(43)は「すごくうれしかった。こういう所ではなくて、また日常に戻ってからもう一度お会いしたい」と話していた。
(朝日新聞3/30 20:52)
緑のジャンパー姿の天皇陛下に「体を大事にね」と言葉をかけられた福島県南相馬市の無職、杉忠夫さん(80)は福島第1原子力発電所の30キロ圏内に自宅がある。「いつになったら家に帰れるか先が見えない不安の中、膝をついて話しかけてくださる優しい姿に力づけられた。妻と2人で大きな勇気をもらいました」と話した。
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