支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

2010.12.07 Tuesday 01:58
くっくり



 ある晩のこと、夕食会に招かれた。来賓の中には中国の「精鋭軍」のお偉方も列席されていた。日本に留学した者も2、3人いた。つい最近まで日本が知識階級の教育の場であったのである。私の中国語は覚束ないので英語で説明してくれる者がいた。その話によれば、最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。飲ませてから、効果観察のため整列させた。約2時間後に死亡したそうである。

 次は、今年(1933年)中国を去る前に避難してきた宣教師から聞いた話だが、残酷すぎて我々には聞くに堪えない話である。南部の内陸地で人里離れた山岳地方の村から宣教師が数人戻ってきた。60人ほどの村が盗賊に襲われた。例の如く村の長老連中が呼び出され、金目のものをすっかり寄越せと言われた。「出し渋った」と見るや、この盗賊のお頭は聞いたこともない奇策に出た。手下に「野郎ども、かまわねえからこいつらの足をたたっ切れ。女子供も遠慮すんじゃねえ」。命令はそのまま執行された。この盗賊は同じ手であちこちの村を襲った。危険が高まったので宣教師たちは避難して来たそうである。だから「足なし一家の話」のその後は聞けなかった。人里離れた山中で何人が生き延びたか。力尽き、隣村で襲われて「餌食」となったか。それとも義足を付けて飛び跳ねているのか、知りたかったのだが。

 女にも容赦はしない。私の友人がいた村でのこと。ある時、その村の軍隊に荷物運びが緊急に必要となった。兵隊は自分では荷物運びはしない。銃剣で脅して荷物運びができそうな者を探し回る。適当な男がいなかったので、女を捕まえ棍棒でたたいて軍に組み入れた。これが民に対する「友軍」の実態である。もちろん「敵軍」の手にかかったら、ごく稀に寛大な処置をされることもあるが、これだけでは済まされない。

(p.63-66)

*1 サンパン=小舟。

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【複雑怪奇な性格と伝統】

 中国人の性格を解明する鍵として、地理、気候、食生活等あらゆる要素が挙げられている。それらが単独で、また複雑に絡み合っているといわれるが、いずれも満足できる答えは出ていない。なぜ喧嘩好きなのか。この問題はダーウィンの「進化論」でもってしても説明できない。なぜなら、彼らがいつ生まれたか誰も知らないのだから、喧嘩好きがいつ始まったか誰も知るはずがない。いつなくなるかも誰にもわからない。ただすぐにはなくならないだろうということだけは確かである。なぜなら中国人は生存競争なら誰にも負けない才能があるからである。

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