支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

2010.12.07 Tuesday 01:58
くっくり



 苦力は実に悲惨である。兵隊でさえ嫌がるところへ回される。もし「敵方」(一時的に抗争する、ならず者の集団)に捕まったら、強制されての従軍だということは無視され、とにかく戦果を上げるため射殺される。捕虜の圧倒的多数はこういう風に挑発された苦力である。戦闘記録にある「捕獲捕虜」とは「敵方で虐殺された者」と読み替えてよい。勝者の気分次第で敗者は「虐殺」されることがごく普通である。数百万単位の軍隊が抗争を断続的に繰り広げながら、捕虜収容所が全くないということは注目に値する。捕虜の給食施設が全くないのだ。食料は施設が欠乏しており捕虜などに回す余裕などなく、万が一潤沢にあったとしても無用な敵に何かを提供するなど考えられない。

 謀略、裏切りは当たり前で、いずこの軍の歩哨も捕虜の脱走を手助けするような信用の置けない者ばかりである。

(p.63-64)

*1 苦力=「クーリー」と読む。低賃金の日雇い人夫。

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【中国人の特異性と残虐性】

 長年、中国で活躍し去年(1932年)カリフォルニアで亡くなったアーサー・スミスの本によれば、長く住めば住むほどわかってくることがあるそうである。「他人を信用する中国人はいない。なぜなら、自分が相手の立場に立ったら自分を信用できないと思っているからである」。

〈中略〉中国人の残虐性に話を戻す。いくつか例を挙げよう。例えば家族や仲間の連れがなく一人で舟に乗っていて落ちたらまず誰も助けてはくれない。元来中国人は軽率だから舟から落ちることは稀なことではない。数メートル離れた所で人が溺れても、ただ見ているだけである。よくあることである。

 あるアメリカ人領事が目撃した話である。任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。豚と中国人を満載したサンパン*1が岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も川に投げ出された。岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかり新鮮な豚肉を手にして、意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。

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