支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

2010.12.07 Tuesday 01:58
くっくり



 これ以外にも大勢の宣教師が、「確かに今までは武器の使用には常に反対してきたが、今回ばかりは艦砲射撃のおかげで命拾いした」と述べている。

(p.302-304)

*1 首謀者はロシア共産党指導者の指導を受けた国民党政府内に潜む共産主義活動家=この国民党の北伐軍による「南京虐殺」は、前年(1926年)のコミンテルン第七次会議での決定に基づいて指令されたもので、それは北京駐在ソ連大使館付武官にモスクワが秘密文書によって訓令したもの。秘密文書の内容は以下のとおり。
「あらゆる方法を用いて国民大衆による外人排斥をひき起こさなければならない。この目的達成のためには、各国と大衆を武力衝突させなければならない。これによって各国の干渉をひき起すことができたらば、更に方法を選ばず、それを貫徹すべきである。たとえ、略奪や多数の惨殺をもたらすものであっても構わない。大衆が欧州の軍隊と衝突した時には、その機会を決して逃してはいけない」

*2 J・P・マギー=この「南京虐殺」から10年後に起こったいわゆる「南京大虐殺」(1937年12月から翌年1月にかけての南京事件)について、東京裁判で、日本軍による殺人、強姦、略奪事件について、被害者からの直接聴取、自ら行った被害調査などを基礎に膨大な証言を行った人物。
マギーの証言に対し、ブルックス弁護人が反対尋問で「それでは只今のお話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなたご自身いくらくらいご覧になりましたか」と問うたところ、マギーは「私は自分の証言の中ではっきりと申してあると思いますが、ただわずか一人の事件だけは自分で目撃いたしました」と回答した。

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【パール・バックの偽善】

 あのパール・バックは〈1927年の〉南京虐殺の時、南京から夫と日本へ避難し、日本で「平和ってほんとに良いものですね」と書いている。ところが去年〈1932年〉、「イェール・レヴュー」に、殺人、略奪の収まった南京に戻った時のことを、「驚いたことにみだらな落書きが一つもないではありませんか」と書いて中国人を持ち上げている。そしてこの記事に感動するアメリカ人が中国にいたのである。こいつらは、軍隊が、一斉に女と見れば犯し、外国人は見つけ次第殺し、せっせと略奪に励んでいる時、一人のんびりと壁にエロ画など描いている者がいても「変だ」と思わない連中である。パール・バックはこうも書いている。「西洋の兵に(私の家が)占領されたら、壁中みだらな落書きだらけになっていたでしょうね。中国人って素敵ですね。強くたくましく立派な人間なのですね」。

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