支那人の民族性を考える上での具体例を77年前の本に学ぶ

2010.12.07 Tuesday 01:58
くっくり



 古来の中国人らしさが、今共産主義あるいは民族主義に現れていると思ってはいけない。その他の「○○主義」も同じである。いわゆる○○主義というものは中国にはない。何でも中国へ入るとカメレオンのように色を変え「中国化」してしまい、元の名前さえわからなくなってしまう。結論を言えば、「中国人は一見、○○主義のため戦っているようだが、そんなことはない」ということがおわかりいただけたと思う。

(p.38-39)

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【義和団事件と南京事件】

 1900年の夏、事件が起きた。「義和団」という狂信的秘密結社が宣教師を殺害したことに触発され、中国政府の守旧派が義和団に加勢して外国人排斥を企てたのである。包囲された北京の公使館員の救出に、連合軍が大沽から北京へ進撃した。救出軍が到着する前にドイツ使節を含む多くの外国人が惨殺された。ところが救出軍を目にしたとたん、中国側は政府軍も義和団も守備を固めるどころか、算を乱して敗走した。事変後、平時における外国人殺害という国際儀礼違反に対して賠償を課された。その7年後、アメリカは賠償金2500万ドルをアメリカ国内に学ぶ中国人学生の教育に活かした。

〈中略〉この事件の数年前までは一応友好的で宣戦布告をすることがなかったので、外国要人を襲い、武力紛争を起こしたことは忘れられ、中国人は「平和愛好者」との評価を取り戻した。メッキは剥がれるものである。1927年、同じような事件が南京で発生した。国民党の正式指令の下、小規模ではあるが、あの「北京の包囲と虐殺」が南京で起こったのである。この事件で殺害された者の中には英国領事館員も1人含まれていた。南京は北京上海間にあるから運良く当時米英の砲艦が近くにいて、襲撃者を打ち払い、包囲されていた人を救出した。

 ここ50年、中国で外国人の虐殺が起こるたびに「今ここにこのような蛮行は終わりを告げた。今後、中国人は平和を愛する責任のある近代国民になるのである。よって、以後、中国人に悪意を抱くことは不親切であり且つ不当である」と宣言する立派なアメリカ人が何人も出る。が、こういう立派な連中は墓穴を掘っているようなものである。無知なアメリカ人は「このような残虐行為は無教養な者やごろつき連中が繰り返している仕業だろう」と思っているが、そうではない。1900年の義和団事件と同じく、れっきとした政府高官によって何度も繰り返されているのである。

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