命を賭すほどの最高の価値を見つける構えを持って(西部邁さんの論説)

2010.12.04 Saturday 04:07
くっくり


 尖閣諸島の周辺に位置するガス田開発も中国にやらせ、魚も中国に獲らせて干物にして買ったほうが安上がりだという金狂いのバカな議論は、尖閣を蟻になぞらえて悪いが、まさに蟻の一穴であって、そこからただでさえ弱い日本の国家をめぐる国民的意識が、これ以上、弱くなったら人間ではなくなってしまうのではないかというぐらいになるでしょう。

 だからこそ、僕は尖閣問題の発生にはすごく感謝している。中国様のおかげで、煙と化すほどに希薄になった日本人の国家意識がどうにかこうにか、煙として空中に消えることなく「そういえば俺たちは日本人だったんだ。野蛮な振る舞いに及んでいる中国人とは違うんだ」ということに少しは目覚めたわけです。

 僕のかすかな希望は、僕が生きている間に──あと何年か知りませんが──中国が何千もの軍艦で日本に押し寄せ、腰を抜かして怯(おび)えた日本人が駝鳥のように、頭を突っ込むどころか足や尻尾まで砂に蹲(うずくま)るのではなく、決然と頭を起こし、自助努力を発揮して反撃の準備を起こしてもらうことです。

 こんなことを言うと、「あなたは大戦争を待望しているんですか」と何人ものジャーナリストから聞かれる。評論家の宮崎正弘君から聞いた話では、日本に関して中国系の新聞には、「日本はアメリカ、韓国と三国同盟を結び、わが国とロシアその他と対決して、第三次大戦を起こす気なのか」と書かれているらしいけど、僕には戦争を待望する気などさらさらない。

 僕がはっきりさせたいのは、「戦争によって大勢の人が死ぬことを認めてはならない」「人が死なないほうが良いに決まっている」という説こそ、というよりそれを原理とする人間観こそ、人間を堕落させる腐臭を放つ思想の原点であるということです。

 生命第一主義、あるいは生命史上主義ほど人間をダメにする、ましてや国民精神をダメにする思想もありません。生命が、すなわち生き延びることが最も大事だとしてしまうと、人間は生き延びるために人を裏切ることも、嘘をつくことも、臆病風をふかすことも、不道徳のかぎりを尽くすことも、何もかも許されてしまう。

 僕は単に嘘をつくことや、不道徳を働くことがダメだと言っているわけではない。命が一番大事だと言っている人間も必ずいつかは命をなくす。したがって、生命第一主義者たちの存立基盤がなくなり、自分が生きていることの意味もなくなる。そんな君たちは何者なんだ、はたして人間なのか、と問いたいのです。

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