「アンカー」民主党代表選小沢出馬ゴタゴタの真相と小沢勝利の秘策

2010.09.02 Thursday 03:03
くっくり



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村西利恵
「1回目のこの菅・鳩山会談の中で菅総理は、『党に最高顧問会議を新設して、小沢先生と鳩山先生にメンバーになっていただき、ご意見を拝聴する』ということを伝えたと」

青山繁晴
「はい。これは、鳩山さんは話が違うじゃないかと」

山本浩之
「ずいぶん違いますね」

村西利恵
「んー、なるほど」

青山繁晴
「で、あの、ただこれはね、ま、よく練れたということは言えないかもしれないけど、この間にずいぶん考えたことは考えたわけですよね、菅さんサイドとしては。だから何もなしっていうわけにいかないけども、自分は幹事長とはっきり言ったわけでもなし、だからその、党に最高顧問会議を、わざわざ新設して、その、6月2日に引責辞任したばっかりなのに、2人をいわば自分の上に立つ顧問になっていただいて、私はよーく意見を聞きますよということを言ったわけですよ。で、これをその、鳩山さんがその、小沢さんに伝えたところ、小沢さんは、そんなもん全然違うじゃないかと。こんなもん戦うしかないということになったわけですよね(26日の出馬表明)。で、なって、そのあとどうしたかというと、これ27日の金曜日ですけど、金曜日に小沢さんが東京・神田にある連合の本部に、ま、いわばわざわざ行って、古賀会長に挨拶っていうか、これ、支持してくれと求めに行ったんですよね」

村西利恵
「すぐ動いたわけですね」

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青山繁晴
「ええ。だから小沢さんはこの時にもう、戦う構えというか、決心はしたわけですよ。そしたら実はこの連合の古賀会長が色好い返事をくれなかった。あなたは国民の世論の支持もないまま、もし仮に総理になってもやっていけませんよと。そうじゃなくて党の分裂を回避して下さいと。このまま行ったら、分裂した民主党をどうやって連合が支えるんだということで、かなり連合の側から厳しい答が返ってきた。その結果どうなったか。翌日の28日、土曜日に菅さんは地方回りをして、つまり菅さんもこれ戦わなきゃいけないのかなと思ってたから、あの、いわば世論を味方につけるために地方回りをしたんですよね。ところが小沢さんは自宅にこもった。これをその、すみませんが、新聞やあるいは一般的なテレビ報道はね、小沢さんは自宅で政策を練っているという(笑)、報道があって。僕は最初その報道、朝刊を見た時から、もう正直言うとちょっと吹き出すような感じだったんですよ。今さら何の政策練るんですか。で、当然、いろいろ電話してみると、いや、そうじゃなくて、もう連合が冷たかったんで、小沢いっちゃんはけっこう頭に来てて、で、また癖が出て、もう俺はあの、どこも行かねえとか誰にも会わないって言って、自宅にこもってしまってるっていうふうになったわけですよね。で、しかもこの時、鳩山さんは、のんき印の鳩山さんらしく、モスクワに行っちゃってたんですよね。で、しかも自分は北方領土返還交渉で名誉回復したい、っていうのでモスクワ行っちゃって、それも小沢さんの不機嫌に輪を掛けたようですが、不機嫌だけじゃなくて、心配した小沢さんの側近も含めて、鳩山さんに、あなたいったん手ぇ出したんだから、何とかしなさいよっていうことを、鳩山さんにワンワン言って」

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