戦争賛美から米崇拝へ『朝日の変節』のルーツ「SAPIO」01.11.14号

2010.08.31 Tuesday 00:53
くっくり


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 朝日新聞が戦時中、連日全紙面を使って戦争に「賛戦」し、賛美し続けたのは周知の事実である。そして終戦後、自らの戦争責任を取ったのかという声があがっていることも確かだ。

 これに対し、「朝日も被害者だ」という見方もある。朝日新聞だけではなく、戦時中は内務省警保局、内閣情報局によるすべての新聞記事への検閲や軍部からの圧力があり、戦争賛美に記事が偏ったことは仕方がなかったのだ、というものだ。

 確かに新聞を出し続けようとする限り、紙面の記事においては、軍部迎合はやむを得なかっただろう。しかし、朝日新聞社の出版局については「被害者だった」どころではない。

 戦時中の朝日は、国内最大の新聞発行部数をもって政府に協力しただけではない。雑誌や書籍などを扱う出版物でも講談社に次ぐ大手であり、その内容も時局迎合で、軍部の覚えがめでたいものが少なくなかった。

 たとえば、日本軍の航空機を賞賛した記事が多い『航空朝日』、戦時体制への労働者の動員をはかった大日本産業報国会の機関紙『ちから』などがそれである。

 戦後、GHQの検閲によって没収対象となった朝日の戦時出版物は「官報」公示のものでも130点と、他社に比べて断然群を抜いているのだ。これを見ても、戦中の朝日新聞は決して被害者ではなく、権力にべったりと擦り寄っていたのは明らかだ。

 一方、その朝日自身と「被害者だった」論者たちは、戦後昭和20年8月23日の社説「自らを罪するの弁」で、自己批判を済ませている、とも主張しよう。しかし、これらはとても自己批判とは言えない内容である。実は、これらは再び権力へ擦り寄るための記事でしかなかったのだ。

「自ら罪する」といいながら東条への責任転嫁

 「自らを罪するの弁」では、「言論機関の責任は極めて重い」と反省するような文を書いている。しかし、戦争責任については、「決して特定の人々に帰すべきではなく、一億国民の共に負ふべきものであらねばならぬ」と、まるで国民に責任がある、一億総懺悔(ざんげ)と言わんばかりだ。

 しかも「特定の人々に帰すべきではない」と言う舌の根も乾かないうちの9月17日には「東條軍閥の罪過」という社説を書いている。「まことに恥多き戦争であつた」という書き出しで、「驕慢(きょうまん)と無智と独善と虚栄がそれを敢てした。而(しか)してその代表的なものが東條軍閥であつたのだ」と書く。支那事変を含む大東亜戦争の責任を、対米戦争開戦時の首相、東条英機に集中させ、東条軍閥が代表する軍国主義の罪過を、徹底的に清算しないと日本の民主化にはならない、と言っている。朝日新聞自らその東条軍閥に追従したことへの批判、反省はまったくなされていない。

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