なんだったんだ?金賢姫の4DAYS
2010.07.24 Saturday 02:07
くっくり
金賢姫は84年に横田めぐみさんと会った。本当はいけないことだが、秘密裡に会いに行った。なぜ84年と断定できるかというと、めぐみさんと会った頃、金賢姫はマカオで拉致された孔令●さん(●は「貝貝」の下に「言」)から中国語を習っていた時期で、それが84年だったから。
横田さんは金賢姫と面談した後の(22日朝の)記者会見では「時期は分からない」と言っていたが、私がこの話を横田早紀江さんに言ったら、「そういえば、面談で84年と聞いた記憶があります」ということだった。
金賢姫は横田さんに謝りたいと思っていたと。
「私はめぐみさんを知っていたのに、23年前(87年に韓国で記者会見で李恩恵=田口八重子さんについて話した時)にはそれを言わなかったから」と。
めぐみさんの偽の遺骨問題などが出た時に、「私がもうちょっと早く言っていれば、ご両親の苦しみをもう少し何とかすることもできたかもしれないと思った」と。
23年前にめぐみさんの話をしなかった理由は、めぐみさんのような立場の人を秘密裡に訪問することはやってはいけないことであって、自分はもう韓国にいるからいいが、「訪問を受けた側のめぐみさんが処罰されるかもしれない、23年前にはそう思っていたんです」と話ながら、金賢姫は涙ぐんでいた。
*3 22日の面談で西岡力さんが金賢姫から得た情報については、★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2010.07.23)北朝鮮の嘘が満天下にあばかれた−金賢姫氏との面会概況2もご参照下さい。
■関西大学教授の李英和さんの解説
(7月23日放送 MBS「ちちんぷいぷい」スタジオ出演)
Q:新情報はほとんど出なかったが?
李:新情報を期待するのは無い物ねだり。そうでなくて、彼女が来ることによって日韓両政府で共同して拉致問題にこれから対処しましょうという、協力関係を作る象徴。日韓が拉致問題で協力するのが当たり前と、皆さん思っているのかもしれませんが、李明博政権になるまでの10年間、韓国は左派政権が続き、全く協力関係がなかった。金賢姫も韓国でいじめられまくった。それが晴れて日本にやってこれたということ自体が重要。これから日韓関係が良くなるためのスタート。
Q:異例の国賓レベル並みの待遇のわりに新情報はわずか。日本政府のパフォーマンスに過ぎなかったのではないかという批判的な見方が多い。これは民主党の政策なのか?
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