江戸時代を見直そう

2010.03.23 Tuesday 01:08
くっくり



 彼は地面を這いずるように農村を歩き回り、おもらいをする。島津家の親類の偉い山伏なんですよ。その人が乞食(こつじき)修行と称して日本中を歩き回る。面白いのは夜になると必ず人が出てきて「旅の人、こっちにいらっしゃい」と泊めてくれる。人を泊めてはいけない村というのもありますが、そこでは「いらっしゃいまし。もう誰も見ていないからうちへ泊まりなさい」と。そんな感じで六年三カ月もうろうろする。その間、彼は一度も野宿をしていませんし、一揆もなければ、飢饉もない。文化文政期というのは江戸時代のなかでもいい時代ですが、あまりにも平穏な時代でした。それで、彼のような旅人が来るのを待ちかまえている人が全国にいたんです。テレビもラジオもないわけですから、旅人が来れば歓待して話を聞きたがるわけですね。

 こんな日記を読めば、だれだって今まで自分が読んできた日本の歴史とは何だったのかと思うでしょう。

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【大日本国順路明細記大成/関東】

■鬼頭宏(上智大学教授)

 私は人口史料を通して普通は書かれることのない庶民の一生を垣間見る仕事をやってきました。

 人口史料というのは、「宗門人別改帳」というキリシタンを取り締まるための帳簿で、全国一斉につくられるようになるのは、寛文十一(一六七一)年からです。それから二百年間、原則として毎年作られました。そこには何も事件は書いてありません。書いてあるのは名前と年齢と続柄と旦那寺。そのぐらいの情報しかありませんが、それを毎年追っかけていくと、その人がいつ生まれていつ結婚して、いつ死んだのかといったことが復元できるのです。

 先ほどから旅の話が何度も出てきましたけれども、農民は土地に縛られて移動もままならなかった、というのは真っ赤な嘘です。農民はしょっちゅう出稼ぎに出かけています。たとえば越後に妻有郷という所がありますが、そこの史料を見ますと、成人になるための一種の通過儀礼として、若者同士で江戸に出かけていくことがあった。出稼ぎを経験するということが制度化されていたようなのです。

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