江戸時代を見直そう

2010.03.23 Tuesday 01:08
くっくり



 全国五十三カ所の関所でも、似たようなことが繰り返されていたようです。それでも庶民が関所を破って磔になったという例は数例しかないそうです。なんでこんなことになったのか。要するに、捕まえると幕府から「お前の関所の警備はなっておらんじゃないか」と怒られるからです。

〈中略〉また、旅日記を読んでいて感動したことがあります。それは、小さな男の子たちだけで奥州から伊勢まで旅する例が、とても多いことです。錦絵や各種の名所図会などに少年たちだけの絵が出てきますし、『東海道中膝栗毛』にも戸塚のちょっと手前で、弥次さんが奥州から出てきた少年たちをからかっているつもりが、逆にからかわれて餅をせしめられる場面があります。子供たちだけで二カ月も三カ月も旅行をしても、誰も「危ないから家に帰れ」とは言わない。みんなが少年たちの旅をまっとうさせてやろうとすごく援助しているんです。

 大人の旅でも無一文で旅に出る人がたくさんいました。それでもちゃんと帰ってこられるというのは、それだけ沿道の人たちの喜捨が多かったということです。自分よりも貧しい人には、お金なり、食べ物なりを施すというのが当たり前だった世界、それが江戸時代なんです。

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【石川豊信「絵本江戸紫」より「桜・花見」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 (1690年に来日したドイツの博物学者、エンゲルベルト・ケンペル)は平和で豊かな国である日本に驚き、士農工商の身分差はあるけれども、それが社会を安定させ、文明を円熟させていることにも着目する。

 ケンペルから百年ほど後に、リンネの弟子のツュンベリーというスウェーデンの植物学者がオランダ商館のドクターとしてやってきます。この人はヨーロッパの啓蒙思想を身に付けているのですが、ヴォルテールたちが唱えていた自由・平等・博愛が嘘っぱちであることに気付いていました。なぜなら彼は、南アフリカでオランダ人やイギリス人が原住民を虐げてこき使い、自ら労働することなく煙草だけ吸って収奪の限りを尽くしている様子を見てしまったからです。さらにインドネシアのバタビアでは、オランダ人とスルタンの二重支配の下に民衆が苦しむ姿を目撃しました。彼は「ヨーロッパ人であることが恥ずかしくなってくる」と書いています。ところが日本にやってくると、ここはまるで平和で秩序があって、豊かで自由でのびのびとした社会であったのです。

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