江戸時代を見直そう

2010.03.23 Tuesday 01:08
くっくり



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【石河流宣「大和耕作絵抄」より「名月」】

■芳賀徹(東京大学名誉教授)

 芭蕉が旅していく先々にはちゃんと芭蕉を待ちかまえている俳人がいたのです。芭蕉は黒羽(栃木県)で「山も庭もうごき入るるや夏坐敷」という句をつくっています。芭蕉が訪ねたのは黒羽のお城の城代をやっていた侍の家です。その侍の兄弟は江戸に出ていた時に芭蕉と付き合いがあった。二人は「芭蕉先生が来た」と大歓迎し、親戚の家まで芭蕉を引っ張り回してご馳走を振る舞い、芭蕉を中心にその土地の俳人たち——武士だけではなく町人も農民もいます——を呼んで連句をやる。黒羽の先の須賀川でも町人の門人がちゃんと芭蕉を待ちかまえていた。芭蕉はその人の家に一週間近く泊まり、やはり地元の人々と連句をやっているのです。

 このことは何を意味しているか。芭蕉が奥の細道を旅していた徳川日本というのが完全に平和であり、その平和を享受しながら芭蕉は旅をしたということでしょう。街道や宿は整備され治安もよかったのです。そして俳諧を通じた知的ネットワークが全国に形成されつつあり、武士も農民も町民も一緒に俳諧という新しい文芸を大いに享受し、江戸から来た前衛詩人である芭蕉を歓迎したということです。

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【鈴木春信「吉原美人合」より「夏・美人2」】

■石川英輔(作家)

 江戸時代の日本人は、技術者として細々と調べると、蒸気機関を使わないで作れるモノなら何でも作っています。「よくぞこんなモノをつくったもんだ」と驚かされるモノが山のようにあります。

 まず伊能忠敬の使った測量器具。忠敬の使った測量器具には手製のようなものもありますが、角度を測る装置は明らかにメーカー品なんです。個人が趣味で作れるようなものではない。調べてみると、すでに測量器具はきちんと存在し、カタログ販売をしているんです。

 江戸後期に作られた合巻という本があります。従来の薄い本(絵草紙)を何冊も合わせて一冊にしたもので、内容はくだらない読み物がほとんどですが、その表紙にはきれいな錦絵が付いています。私のように半世紀もカラー印刷の仕事をしてきた人間が見ても、「いったいどうやって作っただろう」と思うものがあるのです。今の技術でやれば、昔の錦絵なんて簡単に複製できるとお思いになるでしょうが、そうではない。それほど高度な技術が駆使されているんです。

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