「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(2)終

2010.01.04 Monday 00:18
くっくり



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 そして今回、ビートたけしは総計1000キロ、聖地を結ぶ参拝道である熊野古道を歩いて、都からさらに離れた熊野の地を訪れることにした。

 熊野三山のひとつ、那智大社へと続く熊野古道。
 案内役は熊野古道センター長の花尻薫さん。

たけし
「さっき太陽が昇るところを見たけど、不思議だったですね」
花尻薫
「熊野の海の彼方には常世の国があって、常世の国から太陽が昇って、人間を心身共に豊かにしてくれる」
たけし
「熊野もインカ帝国もアステカもエジプトもみんな、太陽神ですね。…けっこうこの土地、地滑りとかなかったんですか」
花尻薫
「特に熊野は雨が多いですから、道が荒れますからね、それをどうやって防ぐかというのは、石畳と階段以外に方法がないんです」
たけし
「かなり、いろんな石がこう敷きつめてありますね」
花尻薫
「多少これは人間が細工をして、そしてところどころ古いところを修理をしております」

 江戸時代の石畳は自然のまま、明治時代に修理した石畳は加工されている。

 雨が多い紀伊山地では、昔から石段を詰んで道を守ってきた。
 遠く平安時代から作られた深い所では2メートル以上も積まれた石畳は、修理されながら多くの参拝者を迎えてきた。

 熊野詣での起源は、平安時代の上皇たち。
 崇徳天皇の曾祖父、白河上皇は9回も訪れ、熊野詣でブームのきっかけを作った。
 室町時代以降、武士や庶民の参拝が増える。蟻の熊野詣でと言われるほどの賑わいだったと言われている。そこを通る人々の思いによって、熊野古道は単なる参拝道ではなく、聖地へと変わってきた。

 たけしがやって来た熊野古道の終点にあるのが、落差133メートル、日本一の「那智の大滝」。

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 神武天皇が東征時、海から山が輝くのを見て発見したことが由来とされるが、そのずっと前から土地の人間の信仰を集め、人々は豊作や大漁をこの滝に祈ってきた。

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