「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(2)終

2010.01.04 Monday 00:18
くっくり



 天武・持統天皇は日本で初めて碁盤目状の都・藤原京を建設。さらには701年、二人の孫である文武天皇により大宝律令が完成。710年には平城京へ遷都。
 新しい律令国家がその姿を現していく中で、713年、元明天皇により出された風土記の編纂命令。各地の歴史をまとめ、地名を改めることで、新たな国づくりをさらに進めようとしたのだ。

 そして完成まで20年の歳月がかかったという出雲国風土記。国の役人ではなく土地の人間が編纂し、古事記にはないオリジナルの神話まで書かれている。
 そんな特別な扱いを見れば、新しい律令国家・日本で、出雲がどれほど大切にされていたのか浮かび上がる。

 最後に残った謎。なぜ出雲大社は縁結びに強いのか?
 実は時代をずっと下った江戸時代のこと。遠方への寺社詣りが信仰と旅行を兼ねたレジャーになっていた。
 そこで活躍したのが、御師(おし)と呼ばれる神社の神官。全国を歩いて回り、お札や特産品を配って人々に信仰を広めていった。
 その際、配っていたパンフレット(「出雲大社勧化帳」享保10年)をよく見ると「縁結び」の文字が。年に一度出雲大社に集まった神様が、「神議」で全ての縁を相談し決めていると考えられていたのだ。

 古代の王たちが恐れ、日本誕生の礎ともなった出雲の霊力は、いつしか縁結びの力へと姿を変え、出雲は今も多くの人に敬われ、愛されている。


◆日本史上最大の怨霊・崇徳天皇

 首都・東京。
 この町にも地名に隠された意味、太陽信仰など、教科書には載らない謎が。
 世界的に見ても珍しい200年以上という長期の平安を保った江戸の街に凝らされた工夫とは?

 「徳川家康は江戸の都市計画に呪術を用いた」(建築家・作家 宮元健次)

 徳川家康が街作りに凝らした工夫、それは神道と仏教と陰陽道の力を結集させ、邪悪な「気」の流れや怨霊の祟りから江戸を守ろうとしたのだ。

 1868年(明治元年)、開国、富国強兵、明治政府は西洋の合理的な考えを次々導入していった。では、それまでの呪術的な町づくりはなくなってしまったのか?
 昨年『怨霊になった天皇』という本を執筆した竹田氏は「日本の伝統は失われることはなかった」と語る。

 「明治維新以降も、霊的に日本を守ることに神経をとがらせてきたようです。1つの例として崇徳天皇。崇徳天皇というのは日本史上最も恐れられた怨霊」(竹田恒泰)

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