「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(2)終
2010.01.04 Monday 00:18
くっくり
「それは天武天皇と持統天皇です」(新谷尚紀)
天武天皇は672年、壬申の乱を起こし、大友皇子を倒して即位した天皇。夫である天武天皇のあとを継いだのが、持統天皇。
では、彼らはなぜ出雲の強大な霊力を必要としたのか?
天武天皇が目指したのは天皇を中心とした律令国家。
そこで目を付けたのが「倭国」という中国につけられた名前。「倭」=醜い、したがうさま、という意味。
このままではいけないと、天武天皇が唱えたのが「日本」という国号。この天武天皇の時代から使われ始めたと考えられるのだ。
さらに、それまで国の王に授けられていた「大君」という呼び名を改め「天皇」とした。「天皇」とは中国の陰陽五行で神様を指す言葉。
天武天皇は自らを神格化し、日本の頂点に立つことで完全なる律令国家を築こうとしたのだ。
「律令国家というのは中国的な支配システムです。王の重要な要素である『政治・軍事の力』と『文化・宗教の力』両方持っている。しかし天皇を名乗り、日本を名乗る。この画期的な天武・持統の王権は、もうひとつの力である『巨大な霊力』で2人の王権を強くした」(新谷尚紀)
巨大な霊力こそ、大和王権が恐れ続けた出雲の霊力だったのである。
思い出してほしい。出雲大社の始まりを伝える神話「国譲り」が描かれた古事記や日本書紀を編纂するよう命じたのは誰だったか?
そう、それこそが天武天皇だった。
つまり古事記や日本書紀に出雲大社の存在を記すことで、出雲大社を新たな国造りに欠かせない特別な存在として位置付けたのだ。
さらにその一方で、天武天皇は太陽の神・天照大御神を祀る伊勢神宮を、日本を象徴する最も尊いお宮と位置付けた。
海から日が昇り、命の誕生を象徴する伊勢神宮。
そして海へと夕日が沈み、黄泉の国と結ばれた出雲大社。
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東の端と西の端、この2つの神社を1つに結び、天武天皇は自らの王権を太陽の光で包み込んだのである。
「生命を司る神様と死後の世界を司る神様、非常に対極ですよね。天皇というのは全体を統合していく立場ですから、そういう対極をしっかりと押さえるということは、霊的にも非常に大きな意味があると思います」(竹田恒泰)
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