防人の万葉集
2009.12.27 Sunday 03:27
くっくり
いかがでしたか?
私は終わりから二番目の、この夫婦のやりとりが特に心に残りました。
藤原部等母麻呂
「足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも」
(足柄の坂に立って、袖を振ったなら、家に居る私の妻は、はっきりと(私のことを)見てくれるでしょうか)
物部刀自売
「色深く夫汝が衣は染めましを御坂たばらばまさやかに見む」
(あなたが御坂を越えながら袖を振る時、鮮やかに見えるように、衣を深く染めるのだったのに)
二人は無事に再会することができたんでしょうか?
image[14kahi.jpg] ちなみに、埼玉県行田市の八幡山古墳公園には、二人の歌を刻んだ碑があるそうです(堂平閑人さんのブログ他を参照)。
ところで、防人の歌は何で第20巻に集中してるんでしょう?
「たのしい万葉集」さんによれば、こういうことだそうです。
万葉集の中で、防人の歌が最も整理されているのが、二十巻です。大伴家持(おおとものやかもち)が、防人関係の仕事をする兵部省(ひょうぶしょう)のお役人だったとき天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年(755)に、東国の国々から防人の歌を集めさせたものです。集まった歌は166首でしたが、家持が選んで84首を万葉集に残しました。このときは、すでに防人の制度が始まってから、100年近くが経過しています。それ以前の歌はどうしたのでしょうか。。。
ほんとだ、それ以前の歌はどうなっちゃったんでしょう?気になりますね。埋もれた大傑作があったかもしれませんよね。
拙エントリー10/11付:秋の万葉集と兵隊さんの思いでも紹介しましたが、日本文学研究家のドナルド・キーンさんによれば、大東亜戦争時に日本人捕虜や兵士が残した本の中で、一番多かったのは万葉集だったそうです。
また作家の辺見じゅんさんによれば、学徒出陣の人は1冊だけ本を持っていっていいと言われたそうですが、一番多かったのがやはり万葉集。
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