防人の万葉集

2009.12.27 Sunday 03:27
くっくり



備考:天平勝宝7年(755年)2月9日に、上総國(かずさのくに)の防人を引率する役人である茨田連沙弥麻呂(まむたのむらじさみまろ)が進上したとされる歌のひとつです。丈部鳥は上丁(かみつよほろ)と呼ばれる課役を負った成年男子で、奥さんとの別れを惜しんで詠んだ歌です。
 「うまら」は「うばら」の訛りです。

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我が面の忘れもしだは筑波嶺を振り放け見つつ妹は偲はね
(第20巻・4367)

作者:占部子龍(うらべのをたつ)

よみ:我(あ)が面(もて)の、忘(わす)れもしだは、筑波嶺(つくはね)を、振(ふ)り放(さ)け見つつ、妹(いも)は偲(しぬ)はね

意味:私の顔を忘れてしまったら、筑波(つくば)の山を仰ぎ見ながら偲んで下さい、(私の)君。

備考:天平勝宝7年(755年)2月14日に、常陸國(ひたちのくに)の防人使(さつきもりのつかい)の上息長真人國嶋(おきながのまひとくにしま)という人が提出したとされる歌のひとつ。
 筑波嶺は茨城県の筑波山。占部は卜占を業とした部民。名の「子龍」は「小龍」とも。

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白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度袖振る
(第20巻・4379)

作者:大舎人部祢麻呂(おおとねりべのねまろ)

よみ:白波の、寄そる浜辺に、別れなば、いともすべなみ、八度(やたび)袖(そで)振る

意味:白い波が寄せ来る浜辺で別れてしまったら、もうどうしようもない。だから、何度も何度も袖を振るのです。

備考:大舎人部祢麻呂(おおとねりべのねまろ)は足利(あしかが)郡(今の埼玉県の足利市周辺)の人で、上丁(かみつよほろ)と呼ばれる課役を負った成年男子。天平勝宝7年(755年)2月、防人として筑紫に派遣された、その旅に向かう途中で詠んだ歌です。
 「寄そる」は「寄する」の訛りです。

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