日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判

2009.12.01 Tuesday 00:26
くっくり


 私はものすごく驚きました。夫も私の体験談を聞き、「そんなん考えられへん」とたいそう驚いていました。

 その後、ブログをやるようになり、全国の読者の方々から「私は大阪ですが、小中高と国歌斉唱したし、国旗掲揚もありました。小学校の授業では君が代の歌詞の意味も教わりました」とか、「私は名古屋ですが、国歌はしっかり歌わされました。特に小学校の時は、大きな声で歌わないと叱られ、ちょっとウンザリしたこともありましたが、『君が代』を嫌いになったことはないです」といったコメントをお寄せいただき、自分の方が異常だったんだと気づくに至りました。

 今さら言ってもどうにもならないのですが、この日本という国で誰もが平等に与えられているはずの教育を受ける権利、それも日本人として一番基礎的な部分の教育を受ける権利を奪われたように感じ、腹が立つやら悲しいやらです。

 また、私が通った中学・高校は、同和教育や反戦教育にかなり熱心でした。特に同和教育は年に1〜2回、特別授業のような形でカリキュラムが組まれており、学年ごとに体育館に集められてスライドや映画を見たり、どこかから呼ばれてきた人(同和問題の専門家?解放同盟の人?)が話をしたり、ということがありました。

 あと、高校1年の時の担任かつクラブの顧問だったA先生(理科担当)というのが、きつい反戦平和主義者でした。が、私がそれを知ったのは卒業後だいぶ経ってから。

 A先生とは卒業後もずっと年賀状のやりとりが続いていたのですが、定年後、本格的にプロ市民的な活動を始められたらしく、私に届く年賀状の文面は年々政治色の濃いものになっていきました。「憲法9条死守!」「イラク戦争反対!」「米軍基地はいらない!」といった具合にです。
 ある時、ふと思い立って先生の名前でネット検索してみたら、な、なんと9条を守る会(具体名は伏せておきます)の幹部までされていることが判明。

 私は意を決して、ある年、A先生への年賀状に「今年こそ拉致問題が解決し、被害者が全員帰国できますように」と書き添えて送りました。
 次の年からA先生は私に年賀状を送ってこなくなりました(私はそれ以降も毎年送っていますが、返事は一度もいただけていません)。

 当時の和歌山の日教組に関する情報(組織率など)を私は全然把握はしていないのですが、よそと比較するとかなり偏った教育がされていたのはおそらく間違いないと思います。

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