日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判

2009.12.01 Tuesday 00:26
くっくり



〈以下略〉

 いかがでしたか?
 リンゴさんも宇治原さんも実体験をありのままに話されているということが、十分お分かりいただけたと思います。

 そうそう、すっかり忘れてたけど、辻元女史も高槻の人でしたね。
 日本赤軍最高幹部の重信房子が逮捕時に潜伏していたのも高槻でした。そしてこの時、犯人蔵匿容疑で府立高津高校(伝統ある進学校です)の教師が逮捕されています(当時の報道はこちらを)。


 さて、過去にも何度か細切れに書いたことがありますが、最近読者になって下さった方のためにも、ここで私の「日教組」体験談を改めてまとめておきます。

 私は1964年(昭和39年)大阪府に生まれ、4才の時に和歌山市に引っ越しました。市立小学校、市立中学校、県立高校(普通科)と進み、21才まで和歌山市で過ごしました。

 私は高校卒業までの12年間、学校で国歌を歌ったり習ったりしたことは、ただの一度もありません。学校行事で国歌が流されたこと自体、一度もありませんでした(国旗掲揚についてはよく覚えていません)。

 小学校2〜3年の頃だったか、音楽の教科書の最後に載っている『君が代』というタイトルの歌がいったい何なのかが気になって、母に「これ何の歌?」と尋ねたぐらいです。

 国歌の歌詞を覚えたのは大人になってから。初めて公共の場で国歌を歌ったのは25才頃、プロ野球の試合前の国歌斉唱時でした(パ・リーグは国歌斉唱があります。セ・リーグにそれがないことを私は最近初めて知りました)。

 実は私と同じ和歌山市で育った母も、小・中まで市立だったのですが、やはり学校で国歌を歌った記憶はないと証言しています。母は1940年(昭和15年)生まれです。

 私はけっこういい歳になるまで、全国のどこの学校もみんなこんな感じなんだろう、すなわち「国歌というのは学校で教わったりするものではなく、大人になってから覚えたい人だけが覚えるものなのだろう」などと漠然と思っていました。
 が、もちろん、そんなのはとんでもない思い違いでした。

 それに気づいたのは、大阪市に生まれ育った夫(1968年生まれ)とたまたま国歌の話になった時です。
 「俺は学校で国歌習ったし、行事でもみんな普通に歌ってたで。え?そうやない地方もあるの?」と言われたのです。

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