日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判
2009.12.01 Tuesday 00:26
くっくり
リンゴ
「いや、そこまではないですけど」
河合俊一
「え?何でスポーツだけ一緒で、勉強は違うの?」
リンゴ
「勉強(の評価)は2段階なんですよ。だから、『達成してる』か『頑張る』か」
一同
「ああー……」
菅広文
「少ないんですね」
リンゴ
「そうそう、だからその当時、五ツ木の模擬試験とかあったんですけど、模擬試験とか受けに行くの絶対あかん言われたやろ?」
宇治原史規
「あ、僕らの時は五ツ木は大丈夫だったんですよ」
(以下、2人の年齢差がいじられて、日教組の話は終了)
_________________________大ざっぱな内容紹介ここまで
ちなみにハイヒールのリンゴさんは1961年8月9日生まれ、ロザンの宇治原さんは1976年4月20日生まれです。
枚方市や、枚方市に隣接する高槻(たかつき)市のあたりは特に日教組が強いって話はよく聞いてきましたが、どうやら私が考えていたよりも数段、酷そうです。
日教組と言えば「国旗・国歌の否定」「自虐的な歴史教育」「過激な性教育」「ジェンダーフリー」など日本の根幹を破壊する活動に目が向きがちですが、まだまだ他にも問題があったんですね。
っていうか、「地元集中」って何??(・_。)?(。_・)?
初めて聞く言葉だったので、ちょっと調べてみたところ、な、なんとWikipediaに載るぐらい有名なことだったんですね。
そのWikiから、ちょこっと抜き出して引用すると……
●地元集中とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる。また地元集中から地元育成と呼称が変更される例もみられる。
●地元集中は、大阪府の高槻市、枚方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施されていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。地元集中ではないが、それを意識した進路指導は組合員の多かった神奈川県や埼玉県などを中心に複数の地域で行われており、特に第二次ベビーブーム世代が中学校3年生となった1980年代中頃までは顕著であったが、その画一性及び生徒個人の個性を無視した進路指導が保護者を中心として批判され、かかる運動が激しい自治体からの転居、私立中学への進学等、公立中学忌避という動きが顕著となり、1990年代には終息に向かったと見られる。
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