京都の地名に潜むミステリー「ビーバップ!ハイヒール」より
2009.11.23 Monday 01:05
くっくり
御幸町通り(ごこうまちどおり)も秀吉が造った。
これは自分が御所に行くための道として造ったもの。
また、秀吉は方広寺(ほうこうじ)を建立したが、そのために新たな道を五条通りと名付け、元々あった五条通りを松原通りと入れ替えてしまった。
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つまり、牛若丸と弁慶が出会った場所とされている五条大橋(2人の可愛らしい銅像がある)は、実際は現在の松原橋に位置するということになる。
さらには秀吉は、京都の真ん中に自分用の住居として聚楽第(じゅらくだい)を造った。
が、ここに聚楽第があったことすら今の京都の人は知らない。
京都の人は、物質的にはもちろん記憶からもそれを消したかったらしい?!
聚楽第があった場所には現在ハローワークがあり、その横に石碑がポツンと建っているだけ。
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【第1位:桑原町(くわばらちょう)】
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中京区丸太町通り沿い、現在、京都地方裁判所の敷地となっている桑原町。
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この桑原町は魔界都市・京都で最も強大な怨霊となった人物にゆかりのある地名。
その人物とは菅原道真。
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学問にも政治にもずば抜けた才能を持った道真は、貴族たちから妬まれ、謀叛を企んでいるという無実の罪を着せられ左遷。
大宰府で非業の死を遂げた。
その翌年から京の都は大変な厄災に見舞われる。
洪水、疫病、干ばつ。
そして人々を最も恐怖に陥れたのが、雷。
これは無念の思いを抱え道真の祟りに違いない。
誰もがそう信じて震え上がった。
そして、都の至る所に雷が落ちた。
だが、不思議なことに一度も雷が落ちない所があった。
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