京都の地名に潜むミステリー「ビーバップ!ハイヒール」より
2009.11.23 Monday 01:05
くっくり
その池は現在も、とある民家の庭にひっそりと残っている。
image[05-4tiarai.jpg]
御陵血洗町(みささぎちあらいちょう)。
この地名は、当時の陰惨な事件を後世に伝えるために付けられたのかもしれない。
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【第4位:千本通り(せんぼんどおり)】
image[04-1map.jpg]
京の都の西側を南北に貫く千本通り。
なぜ千本通りと呼ばれるのか。
千本通りはもともと平安京の中央を走っていた朱雀大路を、その起源とする。
南は羅城門から始まり、洛中を出て、北には船岡山(ふなおかやま)が正面に来るように造られた。
その船岡山の西のふもとにあったのが、死者の埋葬地。
そう、千本通りは夜ごと死者が運ばれる恐怖の道だったのだ。
それゆえ、道の両脇には数えきれないほどの死者を弔う木札、卒塔婆が立てられた。
その数およそ千本。
そこからこの通りは千本通りと呼ばれるようになった。
死者を運んだ道らしく、この界隈にはゆかりの地名も多く存在する。
たとえば、船岡山の南西にある閻魔前町(えんままえちょう)。
その名の通り、地獄の入口で死者を待つ閻魔様が住む町。
image[04-2enmadou.jpg]
ここにある千本閻魔堂の本堂では、今も閻魔様が睨みを利かしている。
この町では、決して嘘をついてはならない。
さらに、船岡山の西側を中心に広がる一帯の地名は紫野(むらさきの)。
いかにも雅で風流な名前のようだが、実はこの紫は死者が流す血の色。
つまり紫野は、血だらけの野原という意味。
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【第3位:赤池(あかいけ)】
image[03-1map.jpg]
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