京都の地名に潜むミステリー「ビーバップ!ハイヒール」より

2009.11.23 Monday 01:05
くっくり



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 実はこの地名、西院と書いて「さい」が本来の呼び方。
 では、一体「さい」とは何なのか?

 西院は、魔界との西の境と考えられていた西京極の少し手前。
 つまり三途の川の河原であった場所。
 そう、賽(さい)の河原である。

 「賽」とは、親より先に死んだ子供たちが、親不孝の罰として積まなければならない石のこと。
 何度積んでも鬼が崩しにきてしまう。
 この河原では、それが永遠に繰り返されると信じられていた。
 西院には平安時代、賽の河原があったのだ。

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 その証拠に阪急西院駅のすぐ近くにある高山寺には、賽の河原であったことを示す碑が建っている。

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【第6位:轆轤町(ろくろちょう)】

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 清水寺の近く、東山区の松原通り、大和大路を東へ入ると轆轤町という町名がある。
 轆轤とは陶芸作りにはかかせない道具のこと。
 ならば、清水焼に由来する地名なのかと思いきや、実はそうではない。
 轆轤町は後世になって付け直された名前。
 以前はもっと不吉な名前が付いていた。

 それは、髑髏(どくろ)町。
 ガイコツの轆轤である。
 ここはかつて死体の埋葬地で、あたり一面におびただしい数の人骨が転がっていたのだ。
 江戸時代の初め頃、当時の役人が髑髏町ではあまりに不吉だと、轆轤町に変えた。

 今は当時のことを知る人は少ない。
 しかし、その片隅にはあの世の入口である六道之辻の碑が建っている。

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 ところで、轆轤町の近くには怖い土産物がある。
 昔から売られている飴だが、とても怖い名前が付いている。

 それは、「幽霊子育飴」……!

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