2009.11.17 Tuesday 00:32
くっくり
ある日、私は最上級生の先輩に誘われて隣の建国中学(旧台北一中)の生徒たちの集まりに参加したんです。それは送別会でした。元一中の生徒が強制的な中国語教育や中国人としてのアイデンティティを押しつけられることに耐えかねて、日本への密航を企てているというんです。基隆港から漁船に乗り込んで何とか“憧れの日本”に行きたいと。送る側も、送られる側も、何の疑いもなく、日本は祖国で、希望の地だと信じていたんです。
その生徒の企てはあえなく失敗に終わり、彼はのちに台湾大学に学び、卒業後は公務員として平凡ながら安定した生活を送りましたが、もし当時の台湾の若者に国籍選択の自由があったら、大多数が日本人になることを選んだと思います。こうした感覚は強制では生まれてこない。日本が台湾で行ったことは、それまでの欧米の植民地経営とは明らかに異なるものだった。その特殊性を日本人、台湾人双方が理解することが大切です。
2009年9月5日、日比谷公会堂で行われた講演より
明治維新を動かした憂国の志士は丁度みなさんのような三十代前後の青年達です。徳川末期の若者達が、その置かれた立場の違いにもかかわらず、申し合わせたように政治改革の必要性を感じ取っていたことは実に印象的です。
忘れてはならないことは、(坂本)竜馬が長崎から京に上る船の中で、改革案を八箇条にまとめたことに表れているように、当時の青年達は、ただ血気にはやってことを進めたのではなく、よく国勢を了解し、国運を己の使命と受けとめて活動していたということです。
竜馬の「船中八策」は、古今を問わず、日本の若い青年を鼓舞するものであり、若い青年たちの命を賭した実践は、永く歴史の記憶に刻まれています。
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