外国人から見た日本と日本人(15)

2009.11.17 Tuesday 00:32
くっくり


「日本は世界一好きな国。日本人にはハチ公のような辛抱強さがあると感じる。忍耐は美徳だと思う」

■盧千恵(ロー・チェンフイ)=台湾人。1936年(昭和11年)日本統治下の台湾に生まれる。高卒後の1955年(昭和30年)に来日し、56年、国際基督教大学入学。61年(昭和36年)、早稲田大学留学中の許世楷氏(2004年から08年まで台北経済文化代表処の駐日代表)と結婚。夫とともに台湾独立、民主化運動にかかわりパスポートを没収される。92年、国民党政権のブラックリスト解除で一時帰台、翌年帰台。2004年、代表夫人として再来日。児童文学者でもあり「台湾歴史童話」など著書多数。
「正論」2009年9月号 金美齢×盧千恵【台湾人にとっての「昭和」】より

 私の母方の祖父は、二番目の兄を日本軍に殺害される現場を目撃したことで、一生涯日本に対し癒されない傷を負い、日本に反抗し続けた人物です。その祖父と汽車に乗ったときのこと。

 九州とほぼ同じ広さの台湾は、海岸沿いの都市を結ぶ鉄道網が1908年に完備しています。全島を一周する幹線のほか、数箇所の盲腸路線(行き止まりの線路)があります。いずれも日本人の技師と台湾人が一緒になって南北両端から工事を開始したものですが、北の山岳部はトンネル掘削という難工事が、南はマラリアや赤痢といった熱帯病、息苦しい蒸し暑さに耐えての工事となる。祖父は最初南北の線路が繋がらないのではと、冷ややかな目で見ていましたが、それらに耐えて、台中市でちゃんと南北の線路はつながっています。

 祖父は日本人の勤勉さや仕事の的確さには感心したとフェアに語っていました。反日的だった祖父でも、実は心の底では日本人を認めるところがあったのです。

■金美齢=台湾人。1934年(昭和9年)台北生まれ。日本統治下の台湾で育ち、日本敗戦後国民党による台湾人弾圧時代を経験。1959年(昭和34年)日本に留学後、台湾民主化運動に参加。このため30年間以上も台湾の土を踏むことができなかった。多くの大学で講師を歴任。1988年から2000年までは学校法人柴永国際学園JET日本語学校校長も務めた。台湾の民主化が進んだ後、2000年から2006年まで総統府国策顧問。
「正論」2009年9月号 金美齢×盧千恵【台湾人にとっての「昭和」】より

 どんな国の歴史にも光と影があります。私は客観的に見ても、台湾の「日本時代」はベル・エポック(良き時代)だったと思います。たとえばこんなエピソードがあります。1946年の春、台北第一高女ではまだ授業時間以外はみんな日本語で話をしていました。

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