2009.11.17 Tuesday 00:32
くっくり
「自死の日本史」より
大東亜戦争で戦った特攻隊員について
殺戮のために選ばれた犠牲者たちさ、と読者諸賢は言うだろうか。だがそれは違う。彼らが自分たちの運命を受け入れる、その受け入れ方を見ないのは、彼らを不当に貶(おとし)めることになるだろう。
彼らは強制され、誘惑され、洗脳されたのでもなかった。彼らの自由は少しも損なわれてはいない。彼らは国が死に瀕しているのを見、そして心を決めたのだ。
この死はなるほど国家の手で組織されたものではあったが、しかし、それを選んだのは彼らであり、選んだ以上、彼らは日一日とその死を意志し、それを誇りとし、そこに結局は自分の生のすべての意味を見出し続けるのだ。
〈中略〉彼らにとっては単純明快で自発的な行為であったものが、われわれには不可解な行為に見えたのだ。強制、誘導、報酬、妄想、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行なった。
しかし実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのは、この透明さだ。
生きていることが美しかるべき年頃に、立派に死ぬことに、これらの若者たちは皆、心を用いた、そのために彼らは人に誤解された。
〈中略〉彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ。だが彼らを理解するのに日本人である必要はない。死を背負った人間であるだけでよい。
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