外国人から見た日本と日本人(15)

2009.11.17 Tuesday 00:32
くっくり



〈中略〉映画館の数はイギリスの都市とほぼ同じですし、立派なものが建設中です。有名な美しい映画館の音響設備は世界一です。一般大衆の趣味が良いから、センスのよい商品が求められ、生産されるのです。

■ポール・クローデル=フランス人。外交官。1868年(慶応4年)生まれ。日本の芸術を熱烈に愛好していた姉のカミーユ・クローデル(ロダンの弟子)から葛飾北斎や喜多川歌麿を紹介されたのがきっかけで、日本に強く惹かれるようになった。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経た後、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで駐日大使を務め、日仏の経済交流や文化交流を積極的に進めた。
1943年(昭和18年)の秋、パリのある夜会に招かれた時のスピーチ

 私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族は他にありません。

 日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではありません。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのです。

 どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はありません。しかし、日本にはその資格があるのです。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのです。

〈中略〉彼らは貧しい。しかし、高貴である。

■ラッセル・ブラインズ=アメリカ人。記者。AP通信社東京支配人。
「マッカーサーズ・ジャパン 米人記者が見た日本戦後史のあけぼの」より
昭和天皇の御巡幸に関する記述

 緊張は、群衆の中からむせぶような歓呼の声があがるとともに和らげられた。ほっとした面持ちで天皇は顔をほころばせて帽子をとり、それを元気よく振り回した。群衆もまたそこで活気づき、歓声をあげてこれに応じた。天皇は歓声が止むたびに、まるで静けさを恐れるかのように再び帽子を振り、首を振った。

※昭和天皇はろくに警備もできない敗戦後直後の日本中を回られました。時には役所の会議室に、時には駅の引込線の中の列車に宿泊されて……。それでもテロの危険はなかったのです。御巡幸は、敗戦にもかかわらず、日本人の一体感が少しも揺るがぬことを示しました。当時のイギリスの新聞も「すべてが混乱する中で唯一つ安定的な要素は天皇である」と書いています。


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