2009.11.14 Saturday 01:37
くっくり
この世界に比類なき皇室の伝統は、神代から続く伝統を保持しようとする皇室の努力と、これを守り育ててきた日本民族の知恵の結晶だったのである。
ご承知のとおり、今日も天皇は日本国の象徴であり、国民統合の象徴で、国家元首である。時代状況は変わってもこれは古代から現代まで一貫している。この統合性と連続性こそ、日本の天皇制の特色である。だから好むと好まざるとにかかわらず、天皇制を無視し、これに触れない日本論は成り立たないのである。
なぜ皇室は皇統連綿として百二十五代、二六六二年も絶えることなく続いてきたのだろうか。それは、共産党が皇室を侮蔑して「天皇制」と呼ぶような「制度」ではなかったからである。それは誰が制定したわけでもない、民族の中に自然に育まれた文化だったのである。
特定の実力者が創りあげた「制度」ならば、別の野心家によって、中国の易姓革命のように何度も変革されていたはずである。ところが皇室はそうではない。この皇道は、神道の発生と同根で、民族がこの風土から学びとった「惟神(かんながら)の道」と見ることができる。
国民は、伊勢神宮や各地の氏神を畏敬をもって何千年も維持してきたように、皇室に反逆するなど考えもせず、親愛の情をもって守ってきたものである。それはけっして人が創った「制度」でなく、自然に生まれた神ながらの道の中心的存在だったからだ。
皇室と国民の関係は、本家と分家、君民一体の絆は、親子の関係と同じである。国民は天皇との関係を理論的に知らなくとも、天皇の御前に立つと、ジーンとした血のざわめきを覚える。それは天皇の血と私たちの血が同一起源から発して、常に共鳴するからである。これを実証するには、次のように考えればよい。
一人の人間が存在するためには、父母という二人の親が必要、二代前は四人の祖父母が必要と考えていくと、十代前までさかのぼると先祖の数は一〇〇〇人台に、二十代前では一〇〇万人台に、三十代前では一〇億人を越える。ネズミ算の逆算である。ところが百二十四代前の神武天皇の昔から、日本の国土に生きてきた日本人の数はたった四、五億人と推計されている。だから相互に親を、先祖を何度も共有し、親戚同士でなければ数が合わない。
日本は島国で、三〇〇〇年来、異民族の大量渡米もなく、侵略されることもなく、完全封鎖、鎖国社会の純粋培養で、相互に血のつながりを持ちあって形成されてきた。だから天皇家を本家とする一大家族国家になるのは当然であった。誰でも日本人は、どこかで天皇家とぶつからねば、自己は存在しなかったのである。
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