「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)

2009.09.28 Monday 01:12
くっくり



●朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。ところが(ロシアの)沿岸州でその考えを大いに修正しなければならなくなった。みずからを裕福な農民層に育て上げ、ロシア人警察官やロシア人入植者や軍人から勤勉で品行方正だとすばらしい評価を受けている朝鮮人は、なにも例外的に勤勉家なのでも倹約家なのでもないのである。彼らは大半が飢饉から逃げだしてきた飢えた人々だった。そういった彼らの裕福さや品行のよさは、朝鮮本国においても真摯な行政と収入の保護さえあれば、人々は徐々にまっとうな人間となりうるのではないかという望みをわたしにいだかせる。(p.307)

●シーズン最後の日本の汽船でウラジオストクを発ったわたしは、元山〈ウオンサン〉で二日すごした。元山はほとんど変わっておらず、変化といえば、町並みのむこうの山が雪をかぶっていることと、朝鮮人が戦時中に日本人の払ったとほうもない労賃で裕福になったこと、商取り引きに活気があること、木造の哨舎〈しょうしゃ〉に日本人の番兵が立って平穏な通りを警備していることくらいだった。戦時中は一万二〇〇〇人の日本兵が元山経由で平壌に向かったのである。つぎにわたしが上陸した釜山には二〇〇人の日本兵がいて、新しい浄水所ができ、丘の上にある軍墓地に立つおびただしい墓碑は、大量の日本兵が死んだことを示していた。(p.319)

●その前年(一八九四年)の冬の不況は終わっていた。日本は支配的立場にあった。この首都に大守備隊を置き、内閣の要人数名が国の名代として派遣され、日本の将校が朝鮮軍を訓練していた。改善といって語弊があるなら変化はそこかしこにあり、さらに変化が起きるといううわさがしきりにささやかれていた。表向き王権を取りもどした国王はそのような状況を容認し、王妃(引用者注:閔妃のこと)は日本人に対して陰謀をいだいているとうわさされたが、井上[馨]伯爵が日本公使を務めており、伯爵の断固とした態度と臨機応変の才のおかげで表面上は万事円滑に運んでいた。(p.322)

●(前項のつづき)一八九五年一月八日、わたしは朝鮮の歴史の広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王に迫っていた。官僚腐敗という積年の弊害を一掃した彼らは国王に対し、《土地の神の祭壇》[社稷壇〈しゃしょくだん〉]前においてその破棄宣言を準正式に執り行って朝鮮の独立を宣言し、さらに提案された国政改革を行うと宗廟前において誓えと要求したのである。小事を誇張して考える傾向のある国王は自分にとってきわめて嫌悪を感じさせるこの警告をしばらく延期しており、式典の前夜ですら、代々守ってきた道をはずすことはならぬと祖先の霊から厳命される夢を見て、式典執行におびえていた。

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