「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)
2009.09.28 Monday 01:12
くっくり
●七月二五日、輸送船高陞〈コウシン〉号がイギリス国旗を掲げて一二〇〇名の清国兵を運ぶ途中、日本の巡洋艦浪速〈なにわ〉に撃沈されて多くの人命が失われ(引用者注:当初イギリスで対日批判が起こったが、真相が判明するとともに日本側の正当性が認められた)、その四日後には日本軍が牙山の戦いで清国軍を撃退した。七月三〇日の時点ですでに朝鮮は清との協定を破棄すると宣告したが、これはすなわち自国に対する清国の宗主権をもはや認めないと言っているのと同じである。八月一日、宣戦が布告された。これら一連のできごとの結末については、いや、できごと自体についてすら、わたしたちはほとんどなにも知らず、七月上旬まで奉天は「悠々自適の道」を歩んでいた。(p.266)
●八月一日に宣戦が布告されると、事態は急速に悪化した。日本が制海権を完全に掌握していたため、清国軍は満州を通って進軍せざるをえず、吉林、斉斉哈爾〈チチハル〉その他の北部都市から集めた、訓練を受けていない満州族兵士が一日一〇〇〇人の割りで奉天を通過していった。満州族兵士は南進する途中、手当たり次第にものを略奪し、料金も払わずに宿屋を勝手に占領し、宿の主人をなぐり、キリスト教へのというより西洋文明への反感からキリスト教聖堂を荒らした。外国人に対する憎悪は奉天から四〇マイル離れた遼陽〈リヤオアン〉で最高潮に達し、満州族兵士は聖堂を破壊したあとスコットランド人宣教師のワイリー氏を撲殺し、「洋鬼子」と親しいからという理由で行政長官に危害を加えた。(p.267-269)
●奉天に向かうすべての道路は(引用者注:清国軍の)兵士でごった返した。行進とはほど遠いだらだらした歩き方で、一〇人ごとに絹地の大きな旗を掲げているが、近代的な武器を装備している兵はごくわずかしかいない。ライフル銃一丁持たない屈強な体つきの連隊すらある! ((中略))正確無比の村田式ライフル銃を持っている日本軍を相手に、このような装備の兵を何千人も送りだすのは殺人以外のなにものでもない。兵士もそれを知っていた。だからこそ西洋人を見ると「こいつら洋鬼子のせいでおれたちは撃たれにいくんだ」ということばが出てくるのであり、総督の宮殿に大群で押しかけて護衛から撃つぞと威嚇されたとき、「どうせ朝鮮で撃たれるのだから、ここで撃たれてもかまわない」と言い返したのである。(p.269-270)
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