「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)
2009.09.28 Monday 01:12
くっくり
第二の布告文「予は国王を補佐するため、卑劣な輩を排除し、善を成し、国を救い、平和をもたらすため王宮に入った」
王宮の門は着剣した反逆的な訓練隊が警護しており、門からは三々五々朝鮮人が出てきていた。旧侍衛隊の残兵で、制服を脱ぎすて武器を隠していたが、門を出る際にはひとりひとり身体検査を受けねばならなかった。((中略))国王の信任の厚かった者はほとんどすべてが地位から追放され、政府要職のいくつかには訓練隊上層部の指名する者が就いた。(p356-357)
●その日は各国公使が国王に謁見した。国王はひどく動揺しており、ときとしてむせび泣いた。王妃は脱出したものと信じており、自分自身の身の安全をひどく案じていた。なにしろ国王は暗殺者の一団に囲まれており、その一団のなかでもいちばん非道な存在が自分の父親(引用者注:大院君)だったのである。慣例を破って国王は各国公使の手を握り、今後さらにこのような暴動が起きないよう国王派に好意的な人々の協力をあおげないものかと頼みこんだ。国王は訓練隊に代わって日本軍が王宮警備に就いてくれることを切望していた。その日の午後、各国公使は日本大使館を訪ね、日本人が深く関わっている今回の事件について三浦子爵から事情説明を聞いた。(p.358)
●(前項のつづき)事件から三日後、国王と一般大衆が王妃はまだ生きているものと信じているなかで、残虐な暗殺行為に追い打ちをかけて王妃を貶める、詔勅なるものが官報に発表された。国王はこの詔勅に署名を迫られ、署名するくらいなら両手を切られたほうがましだと拒否したが、布告は国王の名前でなされ、宮内大臣、首相、その他六人の大臣の署名が入っている。
【詔 勅
即位して三二年になるも、朕の統治力は広きにおよんでいない。閔〈ミン〉妃はその親族を王宮に入れて要職に就け、それにより朕の良識をにぶらせ、人民を財物強要にさらして朕の政治を乱し、官爵位を売買させていたるところに盗賊をはびこらせた。かかる状況において、わが国の礎は危機に瀕している。朕は閔妃を邪悪のきわみと知りながら、一派を恐れまた無勢でもあり、これを排除し罰することができなかった。
朕は閔妃の権勢を抑止することを切に願う。昨年一二月、朕は閔妃とその一族ならびに朕の親族が二度と国務に介入しないことを宗廟の前に誓った。これにより閔妃一派が態度を改めることを願った。しかし閔妃は邪悪な行為をやめず、一派とともに愚劣な輩が朕に対して謀叛を起こすのを助け、朕の動静を察して国務大臣の引接を妨げた。さらにはわが忠実なる兵隊を解散する令を捏造して騒乱をそそのかし、いざ騒乱が起きると壬午軍乱*3のときと同じく王宮を脱出した。その行方を探しだそうと試みたが、みずからはあらわれいでず、朕は閔妃が妃という位にもとるばかりか、罪科にあまりあると確信するにいたった。このような者とともには王家祖先の栄光を継承できない。よってここに王妃の身分を剥奪し、庶民に格下げする。】(p.358)
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