「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)
2009.09.28 Monday 01:12
くっくり
●一八九五年一〇月、長崎に着いたわたしは朝鮮王妃暗殺のうわさを耳にし、駿河丸船上で、事態収拾のため急遽ソウルにもどる合衆国弁理公使シル氏からうわさの真偽を確認した。そして済物浦〈チエムルポ〉からソウルに直行し、ヒリアー氏の客としてイギリス公使館に滞在し波瀾〈はらん〉の二カ月を過ごした。(p.351)
●(井上伯が帰国前に国王夫妻と面談した時の様子を政府に報告した文書より。下線はバードによる)【わたしはこれからのことについてできうるかぎりの説明をして王妃の疑心を解いたあと、朝鮮独立の基盤を確固たるものにする一方で、朝鮮王室を強化するのが日本国天皇および日本政府の心からの願望であることをさらに説いた。それゆえ、いかなる王室の一員が、さらにはいかなる一般朝鮮人が王室に対して大逆行為を企てようとも、日本国政府が武力をもってしても必ずや朝鮮王室を守り、朝鮮国の安全を確保すると請け合った。このことばは国王夫妻の心を動かしたらしく、夫妻の将来に対する不安は大いに軽減したようだった。】
日本の傑出した政治家であり、信頼と敬意をもって接すべき相手だと認めていた人物からかくも率直に請け合われたのであるから、国王夫妻がその約束をあてにして当然と考えたのはむりからぬことであろうし、またそれであるからこそ、一カ月後にあの運命の夜がやってきたときもある種の油断が入り、危険の兆候が最初にあらわれても王妃は逃げだすことを考えなかったのである。(p.352)
●(以下は1895年10月8日の閔妃殺害事件について、広島地裁の判決文にそった形でのバードの記述)三浦子爵*2は大院君とのあいだに結んだ周知の取り決めをいよいよ決行に移すときが来ると、王宮の門のすぐ外にある兵舎に宿営している日本守備隊の指揮官に、訓練隊(教官が日本人の朝鮮人軍隊)を配置して大院君が王宮へ入るのを護衛し、また守備隊を召集してこれを助けるよう指令を出した。三浦はまたふたりの日本人に、友人を集めて大院君派の王子が当時住んでいた漢江〈ハンガン〉河畔の竜山〈ヨンサン〉へ行き、王子が王宮へ向かうのを警護するよう頼んだ。その際三浦は、二〇年間朝鮮を苦しめてきた悪弊が根絶できるかどうかは、今回の企ての成功いかんにかかっているのだと告げ、宮中に入ったら王妃を殺害せよとそそのかした。三浦の友人のひとりは非番だった日本人警察官に、私服を着て帯刀し、いっしょに大院君の住まいへ来るよう命じた。(p.352-353)
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