「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)

2009.09.28 Monday 01:12
くっくり



●(前項のつづき)日本のさまざまな要求は当初は国王の譲歩を得ながらも、受け入れなかった。しかし一八九四年一二月、ついに井上伯はそのうち五件の要求を即座に実行するという正式の誓約を手に入れた。
 (1)一八八四年[甲申政変]の陰謀者全員を赦免する。(2)大院君および閔妃は今後国務に干渉しない。(3)王家の親戚はいかなる官職にも就かない。(4)宦官と「側室」の数を最小限に減らす。(5)身分の区別——貴族と平民——を廃止する。
 以上のうちいくつかについては官報で勅命が発され、また「側室」ともども多くの宦官が荷物をまとめて夜間ひっそりと宮殿をあとにした。しかし広大な住まいにいた国王は「側室」や宦官がいないとどうにもさびしく、翌朝にはすぐさまもどらないと厳しく罰するという命令を出した。そしてその命令は即刻守られた!(p.343)

●(前項のつづき)朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはびこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈〈ばっこ〉していた。
 このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階級が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じてのならわしであり、どの職位も売買の対象となっていた。(p.343-344)

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