「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(3)
2009.09.28 Monday 01:12
くっくり
イザベラ・バード著「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期」image[](時岡敬子訳/講談社学術文庫)から、19世紀末の朝鮮に関する興味深い記述を引用でお届けするシリーズ、第3弾です。
※過去記事
8/9付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(1)
9/13付:「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)
image[0909chousenmap.jpg]【バードが旅したルート。画像をクリックすると新規画面で拡大します】
「朝鮮紀行」の著者イザベラ・バードはイギリス人女性。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、4度にわたり朝鮮を旅行しました。
当時の朝鮮は開国直後でした。
1894年8月に日清戦争が勃発、翌年には下関条約により長年支那の「属国」だった朝鮮は独立します。
列強各国の思惑が入り乱れ、まさに激動の時代にあった朝鮮の貴重な記録ということになります(ちなみに日韓併合成立は1910年)。
この第3弾では、日清戦争や朝鮮王室にまつわる記述をメインにお送りします。政治色が強く、やや重たい感じですが、ついてきて下さいね(^^ゞ
バードが最初に朝鮮入りした1894年初め頃、すでに東学党(主体は農民)は動き始めていました。本格的な内乱となったのは春で、6月、清が朝鮮側の要請により軍を派遣。それを見た日本も軍を派遣します。
戦争が迫り来る中、バードはイギリス副領事の忠告によって済物浦〈チエムルポ〉(ソウルの海港。漢江〈ハンガン〉の河口にある)をあとにせざるをえなくなります。
バードは秋の旅に備えた荷物を元山〈ウオンサン〉に置いたまま日本の肥後丸に乗船、最初の寄港地である清国の芝罘〈チーフー〉(現在の山東省、煙台)に降り立ちます。
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