「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(2)

2009.09.13 Sunday 01:54
くっくり



●(前項のつづき)わたしの部屋は不潔で人のごった返している中庭をはさんで馬たちとは反対側にあった。((中略))わたしの部屋には紙をはった格子戸が三枚あった。壁のない空間はあっという間に男や女や子供でぎっしり埋まった。戸の紙は引きちぎられ、汚れた蒙古人種の顔がいっぱいその破れ目からのぞく。キャンブリックのカーテンをたらしたが、そのカーテンも長い棒で部屋のまん中までつつかれてしまった。人々は戸のこちらになだれこみ、狭い部屋は人でぎっしりいっぱいになった。女たちと子供はわたしのベッドに群がるように腰かけ、わたしの服を調べ、部屋ピンを抜いて髪をほどき、室内ばきを脱がせ、袖をひじでまくり、腕をつねって自分たちと同じ血肉でできているかどうかを試した。そしてわずかながらのわたしの持ち物をつぶさに調べ、帽子と手袋を試着し、ウォン(引用者注:バードの従僕で元サンパン乗りの清国人)に三度追い返されたあともさらに大人数で押しかけてきた。(p.167)

●(前項のつづき)いっしょにやってきたのはゆたかな髪をまんなかで分け、長いおさげに編んでうしろにたらした、家の外で唯一見かけられるきれいな「女の子たち」、つまり未婚の男子である。押し合いへし合い、ほどをわきまえないなれなれしさ、騒々しいおしゃべり、そして汚れた衣服の臭い。こういったものを室温華氏八〇度[摂氏二七度]の部屋で展開されたのでは耐えられなかった。ウォンがこれで四度目の掃除をしながら、今度彼らが押しかけてきたら、ベッドにすわって拳銃を磨いていたらどうでしょうと提案した。わたしはこの提案を受け入れた。まだウォンが部屋から出ていくかいかないかのうちに、またも彼らは押しかけてきたが、さすがに今度はたちまち逃げだしていった。そしてそのあとの時間、わたしは悩みの種から解放されたのだった。好奇心をむき出しにした同じように強引でがまんできないできごとは毎日三度三度起き、このような具合ではいつもにこやかにしているのはむずかしかった。(p.167-168)

●旅人が馬または徒歩で進むペースはいずれの場合も一時間に三マイルで、道はとにかく悪い。人工の道は少なく、あっても夏には土ぼこりが厚くて冬にはぬかるみ、均〈なら〉してない場合は、でこぼこの地面と突きでた岩の上をわだちが通っている。たいがいの場合、道といってもけものや人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路にすぎない。橋のかかっていない川も多く、橋の大半は通行部分が木の小枝と芝生だけでできており、七月はじめの雨で流されてしまう。そして一〇月なかばになるまで修復されない。地方によっては、川にさしかかったら浅瀬を渡るか渡し舟に乗るかしなければならず、これには必ず危険と遅れがともなう。(p.169)

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