2009.07.26 Sunday 03:11
くっくり
記者
「例えばどのようなことを」
ジーカス氏
「1991年の対ソ抵抗運動で起きた14人の悲劇を『血の日曜日事件』というが、皇后さまは涙を流しながら、『そのとき息子さんは何歳でしたか』と尋ねられ、母親が『20歳でした』と答える場面などがあった。皇后さまは『お悔やみを申し上げます』と言われ、その場に集まった数十人と優しく握手をされた。リトアニアには他の国の王族も来たことがあるが、対応は全く違う。皇后さまのように親しく声をかけられることなどはなかった」
記者
「2006年5月には、リトアニアを訪れた当時の麻生太郎外相の通訳も務めたそうだが」
ジーカス氏
「これはリトアニアの歴史にとってはとても重要なことだった。外国の外相としては、麻生さんが初めての訪問者だった。『自由と繁栄の弧』という発想はなかなかいいと思う。…ソ連から独立してとてもよかったと思う」
※全文はこちらを参照。
国を憂い、われとわが身を甘やかすの記>09/6/24付:リトアニアから見た日本のイメージ
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