外国人から見た日本と日本人(13)

2009.07.26 Sunday 03:11
くっくり



記者
「例えばどのようなことを」

ジーカス氏
「1991年の対ソ抵抗運動で起きた14人の悲劇を『血の日曜日事件』というが、皇后さまは涙を流しながら、『そのとき息子さんは何歳でしたか』と尋ねられ、母親が『20歳でした』と答える場面などがあった。皇后さまは『お悔やみを申し上げます』と言われ、その場に集まった数十人と優しく握手をされた。リトアニアには他の国の王族も来たことがあるが、対応は全く違う。皇后さまのように親しく声をかけられることなどはなかった」

記者
「2006年5月には、リトアニアを訪れた当時の麻生太郎外相の通訳も務めたそうだが」

ジーカス氏
「これはリトアニアの歴史にとってはとても重要なことだった。外国の外相としては、麻生さんが初めての訪問者だった。『自由と繁栄の弧』という発想はなかなかいいと思う。…ソ連から独立してとてもよかったと思う」

※全文はこちらを参照。
 国を憂い、われとわが身を甘やかすの記>09/6/24付:リトアニアから見た日本のイメージ


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 今回、台湾人の方の発言を多めに取り上げましたが、これは、NHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー第1回 アジアの“一等国”」へのアンチテーゼでもあります。

 「親日の台湾人の発言ばかり集めただけじゃないの?」などと訝しく思う方は、ぜひYouTubeから1-13 忘れ去れた台湾史--日本時代編 【訳付き版】(全部で13本あります)をご覧になって下さい。
 これは台湾の討論番組で、台湾人識者らが日本統治時代について語っているのですが、日本人も知らないような親日的な話がたくさん出てきます。

 09/7/12付拙エントリー:【動画】外国人から見た日本と日本人(12)でもごく一部ですが、その台湾人の方々の発言を書き起こしています。
 少しだけ再録しておきます。

 「(日本人が台湾に来て)3年目(1898年)5月8日は住民去就決定日。これは台湾住民の国籍選択猶予の最後期限で、実際に台湾を退去した人は総人口の0.2%にも満たなかった。私はこれが重要だと思う。彼らはちゃんと人道を守る。日本人になるか、もしくは台湾を出て中国人になるかを選択させた。(猶予は)2年間あった。もし国民党がやってきたらそんなことはできない」

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