外国人から見た日本と日本人(11)

2009.05.30 Saturday 00:25
くっくり



 しかもこの五〇〇人もすぐに陸軍に編入されるのではなく、まず特別な訓練を受けねばならない。ソウルから数キロ離れた場所にそのための特別な施設がある。総督の秘書が自動車でわたしたちをそこへ連れていってくれた。わたしたちが目撃したのは、典型的な日本軍の学校であった。

 朝鮮の若者たちは、わたしたちが日本本土で見たのとちょうど同じような、教練、体育、それに精神講座に取り組んでいた。その他の点でも彼らは優秀であった。もし日本がこれら若者の歓心を勝ち得たならば、それだけですでに多くの成果をあげたことになるだろう。日本の当局者もこれまでの彼らの業績に満足しており、今年は二〇〇人の志願兵が採用されることになった。

■ハバブ・ウル・ラーマン(ハビブル・ラーマン)=インド人。インドの独立運動家チャンドラ・ボースの副官。
アレクサンダー・ヴェルト著「チャンドラ・ボースの生涯」より

 最後にビルマ、インドネシア、マレーシア、フィリピン等の東南アジア諸国において独立が連鎖的に成されたのは、その自由の炎を日本によって、ともされたことによるものである、という事を書きとどめるべきであろう。これら諸国は日本国民におうところ大である。

■ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 アメリカ人が好む視点に立てば、日本国民は抑圧されていた。しかし、日本人が自分たちは「奴隷にされている」と思っていた証拠はない。日本の民衆は反抗的だったというために、いつも引き合いに出されるのは、農民が年貢米の貯蔵庫を襲撃した「一揆」である。そういう米騒動は確かにあったが、ほとんどの場合、台風や地震で作物が台無しにされ、農民が生きるか死ぬかの状況に追い込まれたときに起きたようである。それに、米騒動は今日どこにでもあるストライキほどには激しくなかったし、それほど頻繁に起こったわけではない。

■鄭春河=1920年(大正9年)台南生まれ。日本名「上杉重雄」。台湾に志願制度が布かれた1942年(昭和17年)血書歎願し陸軍特別志願兵としてチモールに従軍。1993年(平成5年)小冊子「嗚呼大東亜戦争」を自費制作し日本の関係各者に配り、戦後日本人に覚醒を促した。2005年(平成17年)没。

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