日本とトルコ 友好の歴史

2009.05.23 Saturday 02:29
くっくり



image[0522-04sankei.jpeg]

 イランの首都テヘランに在留していた各国の人々は、それぞれ自国の政府が用意した特別機で次々と脱出していきました。
 しかし、日本政府は自衛隊機を憲法上の理由で派遣できず、民間に要請。

 チャーター機が手配されている頃、こともあろうにイランがイラクの首都バグダッドへのミサイル爆撃を始めてしまいます。この時、日本人2名が負傷しました。
 このように事態はますます悪化、テヘラン在留日本人はパニック状態に。

 日本政府から要請を受けた日本航空は、チャーター機を成田空港に準備しましたが、外務省とイランの日本大使館や在留邦人会との打合せが遅れ、タイムリミット前に救出する時刻に間に合わない事態となりました。
 日本航空は「帰る際の安全が保証されない」と、テヘランへ飛ぶのをあきらめました。

 外務省やイランの日本大使館は各国に日本人救出を依頼したものの、どの国も自国民優先で、危険を冒してまでも他国民を救う国はありません。
 日本人だけがテヘランのメヘラバード空港に取り残される中、フセイン大統領の通告した猶予時間は刻々と過ぎていきました。

 そんな絶望的な状況の中で、日本人救出に立ち上がった国がありました。
 それがトルコです。

image[0522-05kokki.jpeg]

 望みを失い空港で途方に暮れていた日本人の前に、トルコ航空機2機が降り立ちました。このトルコ航空機によって215人もの日本人が無事に脱出することができたのです。
 航空機が離陸したのは、攻撃開始時刻のわずか1時間20分前のことでした。

image[0522-06asahi.jpeg]

 なぜトルコ航空機は撃墜される危険を冒してまで、日本人救出に動いてくれたのでしょうか。
 当時は日本政府もマスコミもわかりませんでした。

 その理由を、 当時の駐日トルコ大使ヤマン・バシュクット氏はこのように述べています。

 「特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情でした。その原点となったのは、1890年のエルトゥールル号の海難事件です」(平成13年5月6日付産経新聞)

[7] << [9] >>
comments (18)
trackbacks (0)


<< 「アンカー」新型インフルエンザの疑問に答えます
盧武鉉前大統領自殺で感じたこと >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]