TBSの東條英機のドラマを見て感じたこと

2008.12.25 Thursday 05:21
くっくり


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 これらの南京陥落報道について、大高未貴さんのコラム【当時の日本の新聞は“南京攻略”をどう報じたか】より一部引用。

 朝日新聞が、トップに真紅の日章旗を掲げ、赤文字で「南京遂に陥落す」と大書きしたのは昭和12年(1937年)12月10日の夕刊である。この大見出しに続いて「全城門、城壁に日章旗」「直(ただち)に残敵掃蕩(そうとう)戦開始」「抗日の本墟ここに覆滅(ふくめつ)」などの活字が躍る。誰がどう読んでも、南京攻防に決着がついたと読める構成だ。

 しかし、南京が本当に陥落するのはそれから3日後の12月13日、完全な虚報である。では、なぜこんな虚報が堂々と罷り通っていたのかといえば、当時の新聞が、戦意高揚と好戦的な国民の期待に迎合する形で、先を競って戦争報道を繰り広げていたからだ。

〈中略〉朝日新聞だけが先走りしていたわけではない。大阪毎日新聞は、南京陥落から6日も早い12月7日「南京攻略成る」「敵戦意を失うて潰走」「我軍の猛攻、見事奏功」と報じている。もっともこの記事の片隅に、虫眼鏡でないと読めないような極小の活字で「敵の本防衛線を占領し南京城攻略の態勢を完成せり」とある。紙面全体を覆う、活劇映画もかくやと思わせる戦闘描写の中で、この数行だけが真実を伝える報道だったのだ。

 こうした、東スポ的「勝った!勝った!」という先走り報道を受け、国内ではあちこちで祝賀行事や提灯行列が敢行され戦況は天皇陛下にも上奏され「陛下の御機嫌斜(ななめ)ならず」というニュースまで流れた。

 こうした誇大報道に対し入江相政侍従は「刻々戦況を上聞に達した(陛下に報告した)と(朝日新聞に)書いてある。実に出鱈目も甚だしい」と日記に怒りを記し、上海の軍報道部の責任者の一人、馬淵逸雄は、「南京完全占領が(陛下に報告されたとあっては)両三日中に達成できなければ自決の外無し」と覚悟を決めた。新聞の暴走は、戦争当事者の軍人にまでプレッシャーを与えていたのだ。

 「軍部が暴走して勝手に戦争を始めた」と一方的なことを言う人は多いけど、実際はこのようにマスコミが煽って、世論もイケイケドンドンになって、それが軍部を後押ししたという側面があるのも確かです。

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